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今日朝起きた時思わなかった。
コーチデイブと2人で食事をする機会に恵まれるなんて。
僕のOWSに取り組む中で抱えているモヤモヤを聞いてもらって、アドバイスしてくれた。 世界で勝ったOWS選手を育てたコーチは日本にアジアにまだいないから、自分から行動して関係を築いていかなければいけません。ただ練習するだけじゃなくて、情報を手に入れる努力をするのも選手の仕事です。世界の舞台で戦いと思うならば。
今日朝もアメリカにいる僕のメンターと会って、今の競技に対する悩みと葛藤を聞いてもらって助言を頂いたし、日本にはそういう存在がいなくても自分の見る世界を変えればこうしてそういう存在がいるんだ。と改めて思えました。
これで自信持ってオリンピック選考会に挑めます。
感謝だ。
お寿司とても美味しかった。
Had Great Sushi dinner with World Champion coach Dave Kelsheimer.
It was amazing time!!
Arigato‼︎

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アブダビでのワールドカップのレースを終え、その日の夜の便で成田に向かいました。

アブダビでのワールドカップでは自分が描いていた結果が出せずに、レースが終わってから、飛行機の中での時間
歯がゆい気持ちの苛立ちがありました。

1月は自衛隊で良い練習ができて、持久力とスピードも今までにないものを感じていました。
昨年の10月末からのサンタモニカーフラッグスタッフでの合宿で出来上がったベースに磨きがかかった印象を受けました。

ワールドカップの2週間前に、サンシャインコーストで開催された全豪選手権では、出発前に食中毒にかかり、3日間
泳げなかったわりには、10KMで世界チャンピオンと数秒差、5KMで先にリオを決めている昨年の世界水泳7位の選手に勝ち、5位の選手にタッチ差0,2秒で負けてしまったが、2位という結果で、自分の今の位置と、力を把握でき、自信を持て、日本に帰国しました。この後、今思えば、失敗だったのだが、僕は身体をもっと休めればよかったと思っている。帰国後、僕はナショナルトレーニングセンターでギリギリまで追い込んで、ショートテーパーでアブダビに行こうと決め、100×100という普通だったらレース1週間前にはやらないような練習と1人で取り組みました。

アブダビのレースは体力には自信があったのにもかかわらず、ラスト1周でエネルギーが切れ、あげることができず、
第1集団の後方という絶好の位置にいたのに、失速して10人以上に抜かれました。疲労の回復が間に合っていなかったからです。

どんなに悪くても8位には入れると思っていただけに25位、なんだよって気持ちでした。
ただ、そのレース前の練習のもっていきかたいがいの点では、ほぼ自信を持って今いける状態であるので、
4月の全米、6月の選考会ではもっと感覚で行かずに、しっかり練習の強度と疲労感を優先して、準備していこうと思っている。そこができれば、必ず良い結果は出るはずだと思っています。

アブダビでは、先にリオを決めている選手が半分以上来ていたので、リオまでのスケジュールやいつ高地合宿を行うか、今の状態など、本人や、担当コーチと食事の時間や移動の時間に話をして
情報収集を行いました。 こういう外交能力がOWSを初めてから一番能力としては上がったと自負しています。
将来、現役を引退したら次の仕事をするときは、この僕の持っている外交能力を生かす仕事をしようと思っている。
自らたくさん挑戦して、失敗して磨かれて身につけていった能力だと思っています。
そして、わりかし、日本人は僕の印象では対海外でのこういうコミュニケーション能力を円環にはかれる人は少ないと感じているので、例えば競技人生を通じて。さらに磨きをかけて差別化できる位置までもっていきたいです。

初めての体験というのは
好奇心が強い為、
勢いでできてしまうものであると今まで生きていて実感している。
今回、10KMのレースを終えて、
アブダビから成田 10時間のフライト
成田で5時間のトランジット
成田からロス 12時間のフライト
ロスからフェニックス 1時間のフライト
フェニックスからフラッグまでの 2時間のバスでの移動

今考えるともう2度したくないと思うが、
初めての移動だったので、好奇心が勝って、フラッグまで無事に到着したのである。
さすがにフェニックスに到着した時、ここからバスで2時間と考えた時は辛いと思いました。

今回、フラッグに来れているのは
ライアンロクテ選手が試合を終えてからそのまま山に登り、トレーニングを行い、もう一段階
ベースを上げるということを学生の頃、知って覚えていて、チャンスがあれば自分もやってみたいとずっと思っていました。

会社のバックアップと、松田さんから2月も一緒にフラッグでトレーニングしよう。というお話、この2つがあり
今僕はまたここにいて、トレーニングができています。

この事については感謝しかないです。

松田さんの五輪選考会1ヶ月前の合宿に一緒にトレーニングができ、同じ時間を過ごせることは
自分がメダリストになるために、何か必要で、何が足りないかを身を持って感じ、学ぶことができる
と思っています。

—-

僕は去年の5月にメキシコで行われたワールドカップに行く飛行機の中で、
アメリカンスナイパーという映画を観ました。

この映画は主人公のアメリカ軍人の狙撃手がイラク戦争に行き、アメリカに戻り、再びイラクに行くという
実話の話です。

僕はこの映画を観た後、自分の今の生活に似ていると印象を受け、かなり引き込まれ、その後映画もデータで購入して、何度も見ています。
僕も彼と同じで国を背負って、僕は戦争というフィールドではないですが、常に篩にかけながら、白黒しかないはっきりと示される生きるか死ぬかという環境で、
自分の国を離れて、家族や友人、会いたい人との時間を犠牲にして、今を生きています。
なので、凄く、自分の中で何の為に、僕は泳いでいるのか、生きているのか、自分のたった一度しかない人生で
オリンピックで頂点を目指すということに賭けて生活をしているのか。を考えました。
映画の中で、主人公がアメリカに一時戻り、家で家族と過ごす時間でも常に戦地のことが頭から離れず、考えてしまっているシーンがありました。
僕もその時、そのシーンを見て、常にどんな時も24時間、365日、オリンピックでの本番でのレースの事、
選考会での事を考えている、頭のどこかに常にある事に気がつきました。大袈裟かもしれませんが、僕の場合はこういう
精神状態なのです。

やっぱり、世界水泳で11位という結果もあって、あれからは特にそういうメンタル状態です。

今日、フラッグのダウンタウンでナバホ族のネイティブインディアンのブレスレットを買いました。
そのお店の店主が元アメリカ軍人で現役中は沖縄にいたそうです。お父さんも軍人で、息子も軍人、息子は今
アフガニスタンにいるそうです。

店主が日本にいたこともあって、積極的に昔の話をしてきて、
僕が、アメリカンスナイパーって映画見たことある?僕は去年観たんだけれど、その時、自分の今の生活と似ている部分があると思って、共感したり、考えさせれることがあったんだけど、どう思う?
って聞いたら、確かに、今の君の感じと近い部分はあるかもね。僕の家族はみんな軍人だから、わかる部分はあるよ。って言ってくれて、自分の中であの映画を見てから思っていたことを、本当の軍人に伝えて、そう言ってもらって、なんかスッキリしたというか、完璧に理解してくれた訳ではないんだけれど、話を聞いてもらえただけでも嬉しかったというか、なんか晴れた感じがあったんです。

あの映画を見て、その時、そういう事を感じたと思った事を書きのこそうと思っていたんだけれど、
今日まで書かなかった。今日、そういう出来事があって、また思い出して、時間があったから、
今日書こうと思った。今までも書こうと思っていたけれど、書かずに今日になったのは何か意味があったのかなと
勝手だけれど思いました。

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最近、2冊、自分に響き、影響があった本があります。

1つはアメリカの心理学者 ジェイ・メグが書いた 人生は20代で決まる という本。
この本の第1章のアイデンティティキャピタルという章で、〈44ページ
_
アイデンティティキャピタルとは、時間をかけて身についた、自分の価値を高める経験やスキルのことであり
個人的な資産です。自分自身に長い間、じゅうぶんな投資をした結果、自己の一部となったものです。
学位や仕事、テストの成績、クラブ活動のように履歴書に載せられるものもあります。
もっとも個人的なアイデンティティキャピタルもあります。たとえば話し方、住んでいる地域、問題処理能力、
外見や印象など。アイデンティティキャピタルはどうやってー時間をかけて徐々にー自身を築いてきたという証しなのです。もっとも重要な点は、アイデンティティキャピタル大人の市場に持ち込まれる資質だということ。
たとえていえば、仕事や人間関係のほか、望むものを得るための通貨なのです。

エリクソンが経験したように危機と資質獲得は同時に存在しており、同時に処理するものなのです。人々がどうやってアイデンティティクライシスを乗り越えたかという研究によると、すべてが備わっていて危機がない人生は、
つまり探求がない人生は、融通がきかず、型とおりであるという結果が出ています。逆に資質に比べて、危機感が強すぎるのも、また問題です。

2つ目はアシュリーバンズ著のイーロンマスク 未来を創る男
-61ページ

大学卒業後の進路を真剣に考えるようになった頃、一時期、ビデオゲーム業界も候補だった。
子供の時から、ゲームに夢中だったし、ゲームの会社でインターン経験もあったからだ。
だが、自分が人生を賭けて追いかけるほどでもないと悟る。

コンピューターゲームは大好きだけれど、自分で素晴らしいゲームを開発できたとして、
それが世界にどれほど影響力を持つのかを冷静に考えてみた。
まあ、大したことはないだろうと。心の底から好きなことではあっても、
生涯の職業として人生を賭けることはできないと判断したんだ。

この時期の彼が壮大な夢を描いていたことは多くの人々が覚えている。
実際過去のインタビューで認めている。
クイーンズ大やペンシルバニア大に通っていた頃、
こうしたアイディアに思いを巡らせていたが、結論はいつも同じだった。
つまり、インターネット、宇宙、再生可能エネルギーの3つの分野こそ、今後、大きな変化を遂げる分野であり、
自分が影響力を発揮できる市場だと見ていたのだ。

僕は本を読むときに蛍光マーカーで大事だと思ったところ線を引くのですが、
この2冊の中でもたくさん線を引いたのですが、そのなかで2つ文章をあげてみました。

何が言いたいのかというと、

僕は4年前にロンドンオリンピックに出場して、小さい頃からのオリンピアンになるという夢を学生時代に叶えました。
当時は大学生で、まだ社会に出ているようで、出ていなかったですし、自分がこれからの社会人として生きていく
時間の中で、生涯の職業として人生を賭けることは何か、成し遂げたいことは何かということが具体的にイメージできていませんでした。
ジェイ・メグ著書 人生は20代で決まる で学んだ アイデンティティキャピタルという言葉、そして、20代に僕が自分が描く人生を実現する為には何をすべきか、誰と関わっていくか、ということも大学を卒業して今日に至るまで、約3年という時間を過ごしてきた中で、著書に書かれている〈危機と資質獲得は同時に存在している〉ように、
このリオを目指してきた競技生活の中でのたくさんの挑戦と失敗から、見つけ出せたということを
この2冊を読んで、なるほど、そういうことだったのか、来月26歳に僕はなり、20代も残り数年という限られた時間の中で、僕が取り組むこと、すべきことというのが明確に見えてきたというのが、競技生活に取り組みがながら、
世界を周り、新しい土地に行き、新しい人に会い、本を読み、出てきたというのが、現在の近況と心境であります。

長々と書きましたが、うまくまとまっていない部分もあると思いますが、こんなこともこんな想いを持ってリオに向けて生きています。まずは6月12日、ポルトガルでしっかり五輪出場権を獲得することは僕の人生を賭けて取り組むことです。前回も同じ場所で、同じ挑戦をしているので、相当の覚悟を持って、挑まないと掴めないと理解しています。
この日に出すべき結果を出し、1度日本に帰り、ロンドン後、僕を支えてくれた人、応援してくれた人、僕を信じてかけてくれた人に笑顔で報告できるように。とただそれだけを思っています。

頑張ります。

ヤス

本を読む。
2016/01/20


from https://www.instagram.com/yasunari_hirai/

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僕は見かけによらず、本を良く読みます。
どこに行く時も必ず1冊バックに入れたり、手でもったりして
本を持ちます。
Kindleも持っていますが、頭にインプットされるパフォーマンスが使用してみて低いので、荷物になりますし、重いですが、紙の本をこれからも読み続けます。
僕は毎日、約5時間水の中にいます。
泳いでいる時は巨大な水槽をただ往復する単調な動作しかしません。
僕は泳いでいる時に何考えているのとよくいろんな人に聞かれます。
僕はメイン練習中はオリンピックの事を考えます。
メイン練習以外はその時読んでいる本の内容を覚えようとしています。
練習時間以外の少ない時間で読書をして1度インプットして
泳いでいる時に復習を兼ねて思い出しながら本の内容について考えます。そうする事によって、自分の中に新しい知識か考え方、これはもしかしたら自分の競技生活に応用できるかもしれないと
いうアイディアが浮かんでくるのです。
時間はないですし、毎日ハードな練習に取り組み
疲労が貯まるので、たくさん寝たいですが、それでもなるべく時間を見つけては本をこれからも読み続けるでしょう。
20代の残り4年が僕の将来を大きく変えると思っています。
いつもやりたいと思っているのですが、なかなかできない事があります。それは僕が読んだ本についての感想をブログに書き残していくということです。
文字を書くのにある程度時間がとられてしまうので、まだ行動に移す事はできていませんですが、もうすぐ26歳になりますし、そういうログを貯めていきたいなと思い、ここに決意表明を  
写真はここ最近で良く読んでいる本です。
他にも読んでいる本があるので、また書きたいと思います。
今日は16km泳ぎこみ、頑張りました。

2016年
2016/01/04

Rio-2016-Olympic-Games

ただただ強くなりたくてリアルな知識を習得したくて、情熱と熱意だけで突き進んできた旅は終わった。そう思った。同時にやりきったという感覚を抱いた。

ロンドンオリンピックの半年前の2月。西オーストラリア•パースで開催された全豪選手権に出場した後、僕はもしロンドンオリンピックに出場できれば、大学卒業後はオーストラリアに拠点を変え競技に取り組もうと決意した。

2013年春。僕は明治大学を卒業して、単身パースに渡った。
日本には僕が取り組んでいるオープンウォータースイミングを専門的に指導できる指導者が1人いない。現在もいない。大会もとってもすくない。オリンピックを目指して競技に取り組む選手も少ない。 チームメイトやコーチ、そしてリアルな試合を求め、僕は旅立った。
ただホンモノが知りたかった。

ロンドンオリンピックは僕と僕と一緒にオリンピックに行った森謙一郎コーチ、2人で作り上げ、我流で日本人初出場を自力で掴んだ。僕が海外に短期間でアメリカ、イタリア、オーストラリアに行き、そこで学んだ練習方法を帰国して、コーチと試行錯誤しながら練習を作り上げて取り組んだ。オープンウォータースイミングの事がわからない素人2人がおこした奇跡だと思っている。
僕は中学3年生から森コーチの指導を受け、オリンピックを目指し、夢を叶えた。
オリンピックの後、森コーチから教われる事は全て教わったと感じた。
この先、更に高い結果を目指すならば、オープンウォータースイミングの専門的な知識を教える事ができ、また今までで既にこの競技で世界選手権やオリンピックで結果を出した選手を指導した実績を持っているコーチに指導を受ける必要があると考えた。
なぜならば、人は自分で経験した事しか人に伝えられないからだ。

僕はこの3年間に3人のオーストラリア代表コーチ Mel Tantrum,Matt Magee,Colin Braundから指導を受けた。3人ともそれぞれのコーチ哲学があり、トレーニング方法も皆異なった。
オーストラリア代表、ニュージーランド代表の選手がチームメイトになり、生活をともにした。
レジェンドライフセーバーであり、北京•ロンドン五輪オープンウォータースイミング代表のカイハーストや北京•ロンドン五輪トライアスロン代表コートニーアトキンソン。2人のオーストラリアのカリスマ達ともチームメイトとして競技に取り組んだ。

僕は大学を卒業するまで、海外で生活をした事がなかった。ずっと日本。
だから、物事を見方や何かを決断する時に、1を1でしか見る事や決断する事しかできなかった。大学卒業を半年に控えた頃、僕は帰国子女や長期で留学経験のある友達が多くできる機会があった。彼らは例えば日本とアメリカ、日本とイギリス、日本とオーストラリアなど、物事を見方や何かを決断する時に、2つの国の観点から物事を見たり、なにかを決断する際も2つの国の価値観から1つの解を出そうとすることに気がついた。僕は彼らと一緒にいて、その事が羨ましく思い、また焦りを感じた。自分にはそれができないと。

人生には限りがある。時間はあるようでない。
なので、僕は海外で競技に取り組みながら、海外で生活をする事でそのような自分のキャパを高める事。そしてコミュニケーション能力、語学を同時に取得したいと思った。

現時点では、まだまだ自分の理想には遠いが、それでも渡豪する前のあの頃よりは、大きく成長したと思う。なにより外で生きていけるという自信が自分についた。自分の幅が確実に広がった。もっともっと成長したいと思う。

去年の8月、指導を受けていたコリンコーチから、僕を含め、チームメイトに連絡があった。
タイ•プーケットにあるインターナショナルスクールで仕事をする事になったと。
もし来てくれるならば、学校内の宿泊施設に住む事ができ、食事も3食学校内でとれるサポートをすると。
コリンコーチは長年勤務していたゴールドコーストにあるボンド大学から契約を更新されない事を去年2月に言い渡された。彼は去年の世界水泳まで有給を消化していたが、ようは無職で僕を含め3人の世界水泳代表選手を指導していた。オーストラリアの水泳コーチの雇用形態は契約の形が多い。日本のスイミングのコーチのようにサラリーマンで自分が辞めるというまで働ける形はあんまり聞いた事がない。
良い環境で最高のチームメイト達とトレーニングできていたのに、コーチの契約がなくなった後、チームはバラバラになり、違うチームに多くの選手が移籍した。
確か3月の末くらいからゴールドコーストにある違うプールを借りて、
僕とオーストラリア代表のジョージとサム、ニュージーランド代表のトロイと4人でコリンコーチと練習に取り組んだ。
ボンド大学は良い施設だったから、みんな残念な気持ちだった。けれど、みんなで練習ができる事が続けれるだけ幸せだった。僕らはよく食事に行ったり、海に行ったり、BBQをしたり、本当に良い関係が築けていた。 世界水泳後、皆、プーケットに行くか、ここに残るか悩んだ。
最初はみんな行くって言っていたけれど、本当にプーケットに行ったのは僕だけだった。
ジョージとサムは地元のサンシャインコーストとメルボルンに戻り、トロイはゴールドコーストに残る決断をした。僕はコリンコーチの事を尊敬しているし、好きだし、彼の指導を受けたいと思ったので、いろんな不安はあったがプーケットに行こうと決断した。
11月のアメリカ高地合宿後、プーケットに行く準備をして、単身プーケットに向かった。
プーケット行きの直行便はなく、バンコクに降り立った。またちょうどバンコクでコリンコーチがタイ水泳連盟主催のオープンウォータースイミングセミナーの講師として呼ばれ、バンコクにいたので、数日間、バンコクでトレーニングを行った。バンコクではタイ選手権がちょうど開催され5kmに出場もした。
タイに行くのは初めてで、バンコクは凄く発展している場所と発展しない場所の差が激しく、貧富の差の幅も凄かった。日本の飲食店がたくさんバンコクにはあって、僕は大戸屋やCoCo壱番屋に行ったりもした。当たり前だか日本で食べている味と同じで、それに感動した。バンコクには伊勢丹もあった。タイ人は日本の食文化やカルチャーを好んでいる人が多いそうで、街でよく日本の様々な商品を見た。タイにいるんだけれど、日本にいるような感覚であった。
バンコク滞在後、僕とコーチはプーケットに移動した。プーケット。名前が聞いた事はあるが、まったくなにもイメージができなかった。 インターナショナルスクールはプーケットで栄えている場所の真逆に位置しており、学校の周りはなにもなかった。日本と比べると発展途上のような印象を受けた。到着した時期は冬休みの時期で、まだ学校には住めずに、コーチの友人の家にコーチと2人で生活をしていた。
バンコク•プーケットを含めて10日ほどしか結局僕はいなかった。
タイに来てから、3日後、僕はひどい下痢になった。もしかしたらそうなる事もあるだろうと、
来る前にジスにある病院で薬を処方して頂いていたので、薬を使用するも治る気配すらなかった。
完治するまでに1週間以上かかった。 コーチと久々の再会でとっても嬉しかったが、練習以外の時間もずっとコーチと一緒にいる事にだんだん苦しさを感じてきた。朝から夜まで2人っきりだから、話す話題もなくなってしまった。練習はマンツーマンで張り合いがない。長距離だから、1人でコーチとマンツーマンだととっても苦しいなと痛感した。 バンコクならば、日本食が食べれたが、プーケットには気軽に行ける日本食がなかった。毎日カフェや外食をしていると辛くなってくる。僕はオリンピックを控えたこの大事な時期をここに滞在してコーチとマンツーマンでトレーニングはできないと感じた。100%良い環境だとは思えなかった。コーチが良いという点以外は、ゴールドコースト、日本の環境のほうははるかにすべての面で整っており、帰国してトレーニングしたほうが絶対良いと思った。12月30日の練習後、僕はコーチと話がしたいと言って2人で話しをした。自分が今感じている事、今の自分の状況、自分の希望を話した。かなり勇気がいる出来事だった。凄くドキドキして、その場から早く逃げ出したい気持ちであった。
そしてここにはもういることはできない。日本に帰ろうと思っていると話した。コーチは最初、感情的になっていた。それは当然だ。一緒にリオを目指すってやってきたんだから。けれど、ここで僕が競技に取りつづければ、最悪の事態に陥ってしまうと予想できた。だから、コーチの事は尊敬しているし、指導を受けたいし、好きだけれど、僕はここではもう練習できない。と言った。
それでもコーチはなかなか納得はしてくれなかった。けれど、最後は握手で別れる事ができた。

僕は、コーチと別れた後、カイに電話をした。
カイはコリンコーチと一緒にロンドンオリンピックに行った選手である。
僕はカイにロンドンで勝てたからオーストラリアでトレーニングができ、コリンコーチの指導を受ける事ができた。
今、こういう状況で、コリンとも話をした。プーケットを離れようと思っている。と伝えた。
カイは、オレもマンツーマンでやってたし、その状況は理解できるよ。ハードだよね。
大事な事はヤスが頑張れると思える環境でトレーニングする事なんだ。
オレも練習拠点を変えた事は今まであるのは知っているよね。
だから、その決断をした事はオレは嬉しいよ。
と言ってくれた。
カイと話して少し気が楽になったのは事実だ。
こうしてついこの間までは憧れだった選手とこうして関われている事にも感銘を受けた。

タイから日本に帰る時、旅は終わった。情熱と熱意だけで突き進んできた旅は終わった。そう思った。同時にやりきったという感覚を抱いた。残りの競技人生は日本で取り組みたいと思った。
今は自分がどんなトレーニングに取り組めば良いのか、誰とトレーニングすべきか、レースはどういうプランで泳げばいいのか。 必要であれば、どこの海外チームに行き、練習を積めば良いのかがわかる。2010年に初めて国際大会に出場してから5年かけて、今は自分がトレーニングしたい海外チームにいつでも受け入れてもらえる関係を築いた。この業界でヤスという日本人選手の存在を認知させる事ができた。 
どうしてわかるのか。どうしてできたのか。 
それは海外に単身行く事を自分で決断して、行動して競技に取り組み、挑戦して、自分の失敗から学んできたからだと思う。

僕は自分自身で行動を起こす感覚を養う事を心がけています。
例え失敗しても、それは価値ある勉強なんです。自発的に経験を積もうとする姿勢は、
より一生懸命ハードワークをし、より上手こなさねばならない。という使命感を生み出します。
さらなる責任感から創造性が豊かになり、モチベーションが上がります。そして、困難に対して
明確に対応できるようになると信じています。

今後は日本を拠点にトレーニングに励みます。
自分の頭の中には8月のオリンピックまでのスケジュールができあがっています。
1日1日大切にして競技に取り組むだけです。
僕の競技人生はもう僕だけのものではありません。
多くの方々の支え、協力、応援があって、今の僕がある。
だから、何としてでも目に見える結果で答えたいと思っています。

一生懸命頑張ります。

ヤス

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サンタモニカスイムチームでトレーニングしてから
もうすぐ1週間になります。
どうして僕が今ここにいるか今日書きたいと思います。
簡単に言ってしまえば、今年7月の世界水泳で優勝したジョーダンウィルモンスキー選手がここにいるからです。
彼は僕の中の常識を思い切りぶっ壊してくれた選手でした。
それはどういう意味でしょう。
彼は身長が170cmありません。168-9cmくらいです。
オープンウォータースイミングの10km 競技とはいえ
自由形の競技です。
絶対的に自由形では身長が大きい選手が有利であり、
体格の差が競技力に大きく出る種目です。
実際にロンドン五輪でメダルを獲得した3選手は皆
180cm以上あります。
自由形という体格の差が競技力に大きく出る種目で
彼は今夏、世界一になりました。
僕の中ではどう考えてもどうして彼が勝ったのか
考えても考えても理解できず、
もうこれは自分で彼がトレーニングしている場所まで
行き、たとえ短期間でも一緒にトレーニングを行い
同じ時間を共有する事が必要であろう。それが自分にとっても大きなチャンスと考えたので、この地にきました。
ジョーダン選手のコーチは
デイブ•キルシャーマーというコーチで
彼は先日、僕がトレーニングに行ったメルボルンのチームでコーチをしていた経験があり、また昨年のパンパシの頃から面識があり、コンタクトしていて、今年の世界水泳で、もしかしたら彼と関わるかもしれないと思い、連絡先を聞いていて、練習にも行ってもよいか。と確認をとっておいた経緯があります。
松田丈志さんからフラッグスタッフ合宿のお誘いを頂いた後に、
サンタモニカでジョーダン選手とトレーニングしようとおもい
すぐにデイブコーチに連絡して、今回のこういう形で受け入れてもらっています。
今度またの機会に書こうと思いますが、誰でも簡単に海外チームに一時的に加入しトレーニングする事はできません。
ある一定の実績と個としてのパーソナリティが必要になります。
僕は5年かけてこの事を自分の実体験を通じて
いつでも自分がトレーニングしたいと思う海外チームに加入する
策を見つけ、それを自分の力で掴みました。
1週間という短い期間ですが、
ジョーダン選手とデイブコーチから学ぶ事がたくさんあります。
ここにこなければ分からない事がたくさんありました。
なぜ、彼が170cm以下の身長で世界王者になれたのかが
感じとれます。
練習以外でも食事に誘ったりして彼の考えや想いを聞いて
学んでいます。
どうして僕がこういう行動をとるかというと
僕は本気でオリンピックでOWS競技でのメダルを獲得したいからです。
その為の最短の方法としては
世界王者と同じ時間を共有し、直接、本人とコーチから学ぶという事が僕は1番大切だと思ったからです。
彼と一緒にトレーニングをできる時間は残り3回の練習だけです。
リオで彼に勝つ為に、限られた時間の中で彼とコーチから
勉強して、強くなりたいです。

昨日のお話。
2015/08/30

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昨日は、チームメイトのカイハーストが新居に建てたということで彼のハウスパーティーに呼んでもらいました。
カイを初めて知ったのは2010年。日本で今、所属しているライフセービングクラブのある人からいきなり連絡がきて、平井君は日本のカイハーストになれると思うから、ライフセービングやってみないか。って誘われた時に初めて彼を知りました。
カイは、北京とロンドンオリンピックにオープンウォーター競技で出場し、本業のライフセービング競技で全豪チャンピオンに何度も輝き、こちらでは知らない人はいないってくらいレジェンド選手です。テレビにもガンガン出てるし、子供たちのヒーローみたいな存在。
OWS競技からは退いてしまいましたが、
今も尚、こちらでは超ポピュラーなライフセービング競技のプロシリーズニュートリグレインで活躍しています。
カイを初めて知ったとき、なにもコネクションもなかったし、知り合いでもなんでもなかった。
オリンピックを目指す過程で、遠くの遠くの存在だった彼と気づけばロンドンオリンピックで戦い、しかも彼に勝つ事ができた。
ロンドンで彼に勝ったという実績が僕にはあったから、
今こっちで受け入れられて、競技ができ生活できている。
オリンピックで一緒にレースをした後、まさか彼と一緒のチームになって、日々練習をしていく中で近くにいなきゃ学べない事、感じれられない事が本当にたくさんあったし、
そういう事を僕は1番知りたかった。
カイに世界水泳カザンの前にメッセージのやりとりしていて、
アドバイスしてくれて、レース終わった後も、ヤスはもうこの競技の中でトップスイマーの1人だよ。オレはお前を誇りに思ってるよって。メッセージもらった時は、結構、感極まるものがあった。
短期間ではけっして成し遂げられないけれど、軸を決してぶらさず、高い目標を立て、それに向かって突き進んでいくと、憧れが現実になり、越える事があるという事が彼との関わりの中でわかった。
カイに競技結果でロンドンの時に勝てたけれど、彼の存在感やカリスマ性をこえることはまだまだできていないし、自分の中でのアスリートのロールモデルの1人であることは永遠に変わらない。
昨日は本当、カイの家族や仲の良い知人だけしかいなかった空間に自分も呼んでもらえて、その時間を過ごせた事がとても嬉しかった。
なんでこんな事書いたかというと、
ついこの間、僕よりしたの世代の選手達は自分に壁を先に作ってしまい、
自分はそんな選手になれないとか、そんなタイムを出せないってやってもないのに、決めつけて競技をしている選手が増えているって耳にした。
それを聞いたとき、すごくもったいないなと思った。
憧れを憧れで終わらせてはダメだと思う。
ダメというか、つまらなくなっちゃうって人生が。
できるかわからないけれど、攻めなきゃ。
生き続ける限り、新しい自分に常に出逢おうとする事が僕は1番楽しい事だと思うし、幸せな事だと思う。
誰にってわけではないけれど、
僕より下の世代の選手達には僕よりもチャンスと可能性があるから、壁をつくらず、いけるところまで突き進んでほしい。

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初めて出場した2011年の世界選手権は36位。2年前の世界選手権は21位。3回目の今日。11位。

今日の世界選手権のレースで10番までに入れば1年前にリオオリンピックの出場権が獲得できるレースでした。
僕は11位という結果で9位と10位のイタリアとブラジルの選手と5秒差でした。
僕はラストだいたい700〜600mくらいのところで彼らと同じ位置で泳いでいました。
しっかりと覚えています。
ただ僕らは若干、ゴールに対してまっすぐではなく、外側を泳いでいたので、僕は彼らから自らの選択で離れ、内側に入りゴールを目指しました。
結果論になりますが、この選択が今回、僕が1年前にリオデジャネイロオリンピックの出場権を今日獲得できなかった敗因です。
今回は2,5kmを4周するコースでした。
2周目を泳いでいる途中、4km地点でしょうか。
急に気持ちが悪くなり、呼吸が浅くなりました。身体が急に熱くなってくるのがわかりました。
原因は、スタート時の水温よりも、日差しがどんどん強くなっていきレース中に水温が上昇しためです。僕は手首と足首に低水温対策でホットジェルを塗っていました。自分が予想していた水温よりも2、3度高くなったため、ホットジェルの効果が僕の体調を崩してしまったのです。
身体が熱くなって本当に頭がパニックになって、途中棄権しようか迷いました。僕は何か変えなきゃと思い、被っていたスイムキャップを手でとり、頭が冷えるようにと行動しました。
なんとか2回目の給水ポイントまでたどり着き、砂漠で乾涸びそうになったような身体に
500mlの給水ドリンクを一滴も残さず補給し、集団に戻っていきました。あの給水は本当に命拾いをしたなと飲んでいて感じました。
今までこんな経験はレース中になかったので、本当に焦りました。
よくあそこで諦めずにキャップをはずしたりして、なにかを変えようとして前を向き続けられたなと今振り返ると感じます。
僕は今回ラスト1周の勝負になるだろうと、しかも10km泳ぐ中の最後の数百メートルの勝負になるだろうと。今年のワールドカップなどの過去のレースから想定していました。
実際そういうレースでした。本当にラスト1周はキツかった。何が辛いって全てが辛かった。
ここに来るまでに何百キロも激しい練習に取り組んで準備してきたけれど、辛かった。
先頭引きしていた選手も続々とバテてしました。けれど、皆、自分の国を背をって、自分の人生を懸けて、この今を泳いでいるので、
踏ん張ろうとしているのが良く伝わってきました。
なぜ、僕はあの時、彼らと最後まで一緒に泳ぐ事を選択せず、自分自身で勝負しようと思ったのだろうか。過去の経験上、その選択の方に、確立があったから、あの判断するコンマ何秒で違う進路に移ったんだと思います。
後悔はしていません。勝負をすると決めた判断だったので。
レースが終わって、僕はドーピングの対象になり、ドーピングの尿検査を受けました。
10位になったイタリアのフェデリコ選手もそこにいました。彼とはずっとワールドカップでも戦ってきていますし、個人的にイタリアが好きなので、良く知っている同士のような存在です。
僕は彼におめでとう。と一言、検査を終えて部屋を出る時言いました。
僕は今まで、他の選手が良い結果を出せた時、おめでとうとか勝った相手を讃える事ができる選手ではありませんでした。けれど、今日は無意識に彼に一言 おめでとう。が言えました。
今思うと、きっとそれは僕も今日全力で力を尽くして出た結果だし、彼が僕と同じようにオリンピックを目指しずっと競技に打ち込んできているのを知っているから、素直に言葉が出たのではないかと思います。
少しは人として成長できたかな。
今日、僕は有言実行する事ができなかったし、白黒の世界では黒でした。
けれど、結果を残せなかった事を直に受け止め、腐らず、前を向ける姿勢に切り替えれる
ことはできた。
それは僕は本当に色々な方々に、日本でも海外でも応援して支えてもらっているから、
ゴールして、10番に入れていない事がわかって、なにも考える事ができなかったけれど、
頭の中にたくさんの僕を応援してくれている人達の顔が浮かんだから。
日本では所属の朝日ネットの皆さんがモニター中継で僕のレースを観て下さっていました。
土方社長、溝上取締役、いつも僕の面倒をみて下さっている人事部長の河野さん、社員の皆さんに、今日リオを決めて、会社に戻って再会したかった。その事を考えると苦しくなる。
これが現実なので、ちゃんと受け止めなければいけない。
来年6月ポルトガルでリオデジャネイロオリンピック最終選考会が開催されます。
ここで10番以内に入ると出場権を獲得できます。
今回トップ10に入った国はこの最終選考会には出場できないルールがあります。
前回はこの選考会で6位に入り、ロンドンを決めました。
来年のこの選考会では確実に出場権を勝ち取り、リオに闘いにいきます。
11番という結果の意味をこれから1年間、日々自分に問いただして明日から夢を叶える為に生きていきたいです。
本当に皆さん応援どうもありがとうございました。
僕は必ずもっと強くなってくるので、僕が泳ぎ続ける限り、見守っていてください。
お願いします。

やす


from https://www.instagram.com/yasunari_hirai/

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先週の今日。朝練習と午後練習の間の時間に
本場イタリアで活躍され、北京五輪にも出場されたロードレーサー宮澤崇史さん(http://bravo-tm.com)から
どうしても世界水泳に行く前に学びを受けたく、
無理を言ってお時間をつくって頂き会って頂きました。

僕はオーストラリアに行ってから、テレビやYoutubeでロードレースの試合を観るようになりました。
それはなぜかというとオープンウォーターのレース展開と共通する点があるのではないかと感じたからです。そしてそこから参考したい、応用したいと思ったからです。
僕は他ジャンルから学び、自分の競技に応用するスタイルを良く取り入れます。

それは僕が日本で自分が取り組んでいる競技でパイオニアで、過去に日本でオープンウォーターで活躍した選手がいないのですし、専門的にオープンウォーターを指導できるコーチもいません。

だから例えば起業家の自伝や講演を読んだり、聞いたりして、誰も成し遂げた事のない事業を成功させるプロセスや目標を達成するアプローチ、枠組みを学んだり、
他競技からトレーニング方法や試合に活かせそうな事を探したり、みつけています。
なので、自分でいろんなところから知識や情報を手に入れインプットし、それを実際の競技生活の中でアウトプットして今まで成長してきました。

ただ、やっぱり何事も本当のリアルな事、情報や知識を知る為には実際にその場所で戦っている方に自分が直接お会いし、話を聞かなければ本質はわからないと思っていました。

今年2月に明治大学の先輩、本田直之さん
(http://www.leverageconsulting.jp)のご紹介で崇史さんにお会いしました。

僕は崇史さんから、実際のレースで集団の中ではどういう心理状態で、どういう駆け引きが起きているのか。
ラストスパートの駆け引きやポジションどりはどういう作戦があり、どうスパートしていくのか。

そういうオープンウォーターのレース展開と似ている点のリアルな事が知りたくて、たくさん質問しました。
崇史さんは凄く丁寧に答えて下さり、僕は頭の中にインプットしよう。インプットしよう。と集中して崇史さんの言葉を聞き込みました。

お会いした後もメッセージで前回の世界水泳の結果を崇史さんが分析して下さりもしました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
今回、崇史さんから学ぶ事ができた何点かの事はこれからアウトプットして自分の更なる向上にしっかり繋げていきたいです。
お話を聞く前に、こうかな、ああかなと仮説を立てていた事がアドバイスを受けた事でガチッとはまりました。
崇史さんからの学びを最大限に生かし、ヤスにあの時、アドバイスして良かったとおっしゃっていただけるように頑張っていきたいです。
崇史さん、ありがとうございました。今後とも宜しくお願いします!

やす

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