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今の自分の実力は世界でどの位置なのかを知れる絶好の機会


 
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来月1日に去年住んでいた西オーストラリア•パースで開催される BHP Billiton Aquatic Super Series Swim the Swan 10km (全豪選手権)まで1週間を切りました。
今日の朝練で追い込みの練習も終わり。来週からは調整に入り、コンディションを高めていきます。
自分の知る限り、この試合でオーストラリア、ニュージーランド、日本の3カ国は今年7月にロシアで行われる世界水泳の選考も兼ねています。
他に、アメリカ、オランダ、イギリス、ドイツから強豪選手もこの試合に参戦します。
アメリカからは昨年のパンパシフィック選手権で優勝したAndrew選手、オランダからはヨーロッパ選手権でロンドン銀メダリストに勝ち優勝したFerry選手が
やってきます。

ロンドン五輪後、小さい頃から描いていた夢を叶え、目指すものがなくなり完全燃焼してしまった後、リオを目指すと決めてから、この2年間本当にいろんな事がありました。

大学卒業する直前まで所属が決まらず、今だから書けますが、その焦りと不安から一時は引きこもりも経験したし、プールにも入っても泳ぐ気もせずに練習できなかった日々もありました。(この時期は本当に今の自分の状況は全く想像できなかったです。)

昨年のBHPの後、前に所属していたスイミングのコーチが辞めてチームが解散し、新しいチームを探すのにも苦労しました。

ロンドン五輪出場を決める前も相当な辛い事や苦い経験をしてきましたが、
それ以上のハードな場面を乗り越えて今の自分があります。

 
今は過去最高の身体のスペックを備え、まだまだまだまだ身体能力向上の余地が無限にあります。自分に可能性しか感じません。

こちらに来てから2年が経ち、やっとオーストラリアやニュージーランドでの試合でも勝てるようになり、
この地域での自分の知名度が確実に高まってきました。こちらでもっと個を確立し、有名になって、須藤元気さんのように逆輸入な感じでいければとイメージしています。
また、昨年10月のW杯でやっとTOP8に入る事ができ、世界の頂上が現実的に見えてきました。

そしてゴールドコーストに来て、ここで競技人生を終えても良いと思うくらいの素晴らしいチームのメンバーの一員になり、
最高のコーチのもと、共に同じ目標を持ち、毎日切磋琢磨でき、私生活でも仲良くできるチームメイト達と出逢い、
自分の競技を取り組むうえでの環境も昨年よりどんどん良くなり、更にプロフェッショナルとしての活動ができる環境が整ってきました。

僕は思います。自分の人生は自分で作り上げていくしかない。どこまで自分が苦境に立たされたとしても、そこから這い上がっていく事ができるか。

それを乗り越え、自分の力にするか。 すべては自分次第だ。 自分の人生は自分がすべて選択肢をし、生き続けなければ行けない。生きている限り。

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明治大学の先輩でお世話になっている本田直之さんの言葉を引用すれば、
僕は大学卒業後、僕の競技生活は常に切羽詰まったサバイバル生活でした。
競技生活をおくりながら、同時に僕はサバイバル能力を養ってこれ、自分のサバイバビリティ(生き残る力)を鍛えることができました。

ロンドン五輪後から今までの乗り越えてきた数々の試練をこの先、財産だと思えるようにしていきたいし、
あんなピンチな状況を乗り越えたんだから、この先どんな危機が訪れてもなんとかなるだろうと、常に心にそういう気持ちを備えていきたいです。

全豪選手権での展望

僕は今回、勝負したいと思ってます。勝ちたい。今まで勝てなかった彼らに勝ちたいです。
昨年、今までとっていた長期オフをとらずに継続してトレーニングに取り組み、自分よりも体格が大きい選手と毎日練習し、その中で勝ち、試合でも勝ち、
力と実績をつけてきました。
この試合で自分より実績のある選手に勝ち、その勝ったという実体験から自信をつけていくことが、リオ五輪でメダルを獲得する為の最前の方法であり
ただただ、その繰り返しだと考えています。

僕は常に前を向かなければいけないし、休んでいる時間はありません。限りある人生の時間の中で、目に見えないだけでリミットは決まっているわけで
その限られた時間の中でこの今掲げている目標を叶えたい。達成したい。
それが今の僕のモチベーションであり、原動力です。

僕は今まで継続的にトレーニングに取り組む事が苦手でした。
ですが、モチベーションの捉え方に工夫を加え、常に一定のモチベーションを保つことができるようになりました。
改善です。
それが昨年10月以降の結果に繋がっているのではないかと考えています。

明治大学のポスターを撮って下さった加藤さんからの言葉

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加藤正昭さん。僕の明治大学のポスターを撮影して下さった方です。
加藤さんとは、僕の大学生時代に立てた明治大学のポスターになるという目標を叶えたときに出逢いました。
あの時から、僕は加藤さんの事をとても信頼しています。加藤さんは僕にたくさんのアドバイスをしてくださり、
支えて下さります。大学を卒業しても加藤さんとは交流を続けており、僕が海外にいるときはメッセージをしたり、日本にいる時は食事をしながら、僕の近況や悩みを聞いて、一緒に解を見つけて下さいます。

昨年11月から参戦しているニュージーランドオーシャンシリーズの第1戦目で初めて勝つ事ができ、
加藤さんに試合の映像のリンク先と優勝できたという報告をメッセージしました。

加藤さんからは、
「拝見しました。おめでとう。ほんと、素晴らしい知らせをありがとう。ウイナーになると言うことは、ウイナーになるべき人格が備わってきたと言うことでもあります。ウイナーの自覚を味わうことを神様からいただいたと言うことです。自分との闘いは、孤独ですが、神様は、ご覧になっています。ありがとう。」

僕はこの加藤さんからのメッセージを読んで、しばらく考えました。

ウイナーの自覚を味わうこと。

1番でゴールテープを切ったとき、アウェイの地でたくさんの人達に拍手で向かえてもらったあの感覚は
とても気持ちかったです。これが世界選手権、オリンピックならもっと最高だろうとも思いました。
辛いトレーニングを頑張ってきてよかったと思える瞬間は一瞬です。しかし、その一瞬の喜びを味わうためになら
なんでも頑張れると思えるんです。それがアスリートだと思います。
ウイナーの自覚を味わうこと。と加藤さんに言われてこの言葉を見たときに、卒業してから2年続けてきて良かったと思えました。

自分との戦いと孤独。

やっぱそうなんだなあと。再確認しました。
加藤さんに言われると心の底から納得できるからです。

僕が昨年夏に読んだ、本田さんの著書
「なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか」の188ページに
考えろ、考えろ、考えろ というヘッダーからはじまり、(以下、原文引用)

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(いつもマッシモが「ペンサー、ペンサー、ペンサー」って言うんです。ペンサーというのは、イタリア語で「考えろ」という意味。とにかくいろんなことを考えろ、そして書け、さらに読み返すんだと。それを何回も繰り返すと、違うアイディアが出る。彼は、実は精神科医じゃないかと思うくらいマニアックに、ひとつの事を突き詰める考えるタイプ。でもたしかに、考えることをやめると、その時点で止まってしまうんだと思いますね)
マッシモは「考える事をやめなければ絶対に成功する」という信念を持っていました。
彼が徳吉シェフに語ったのは、三つ星を取ってイタリアンのトップになったけれど、俺たちはここで終わりなのか、そうじゃないだろう、ということ。もちろんビジネスとして成功させなければいけない仕事もあるし、情熱としてやるべき仕事もある、その両方がうまく、回るのがベストなんじゃないか、と。
もはや料理人というより、哲学者のようです。料理の腕はもちろんすごいのでしょうが、やはりそうではないと感じました。
きっと、こうした強い思いがなければ評価もされないし、その評価が続くこともないのです。

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この文章を読んだとき、まず、ペンサー、ペンサー、ペンサーという言葉がとても気に入りました。
そして、常に、考え、それを繰り返す事によって、磨かれていくんだ。信念を持って取り組み考え続ければ、成功に繋がるんだと。ああやっぱそうなんだなと思ったんです。
僕の場合だと毎日、1日4時間は水の中にいます。プールの中、泳いでいる時というのは、チームメイトと一緒に
練習していても、孤独で無の状態なんですね。で、僕はジュニア時代から、この無の状態の中でいつもいろんなことを考えるタイプでした。それの繰り返しで、自分がつくられてきました。

話しは少し脱線しましたが、加藤さんのメッセージで孤独と自分の闘いという言葉を読んだとき、
本田さんの本を読んだ時のこの部分がフラッシュバックしてきて、ああやっぱりこれだよなって。

ぼくにはたくさん応援してくれ、支えてくれる人達がいます。
ほんとうにありがたいことです。
しかし、普段の練習での取り組みやレースでは、常に自分と向き合い、孤独です。
で、必ず目標を達成しなければいけない。
考えて、考えて、悩んで、悩んで、ああでもない、こうでもないって。
そういう状況を続けているわけですから、時には気が狂いそうなときもあります。
でも、ありがとうって言えるんです。

これからも、考えて、考えて、考えて、常に考える事を止めず、自分と向き合う事の質を高めていきたいです。

最後に。
決して、平坦ではなかった大学を卒業してからのこの2年という時間。
確証はなかったけれど、絶対、乗り越えられるとは思っていた。現実そうなった。
道半ば、回り道もしたが、2年前にはなかった世界と戦える能力を備えられたと思っている。

タイトルとおり、この1年は覚悟を持って取り組まなければ、この先はないと考えている。
孤独と向き合い、考える事を怠らなければ、必ずすべてにおいてうまく行くはずだ。

2015年の1発目。覚悟を持ってスタートに立ちたい。

終わり。

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以下記事URL

http://www.huffingtonpost.jp/toru-kumashiro/education_b_6440728.html?ncid=fcbklnkjphpmg00000001

 

 

今日の朝練が終わって、少し休もうと思った時、

たまたまFBを開いたらこの記事が出てきて、興味を持ったので読んでみた。

読んでみて、僕なりの考えがあったから、書きたいと思う。

 

 

 

良い大学に入る事は、
自分の可能性を無限に広げてくれ、
将来に対しての選択肢が増え、
チャンスを掴む確立が高くなると僕は思う。
実際に僕は明治大学政治経済学部に入って、そう実感したし
そこで一般学生と素晴らしい先生方、職員の皆さんと一緒に過ごした
4年間があったから、今の自分が作り上げられたんだと思う。

 

 

 

 

決して、家庭が裕福でなくても、
例えば、スポーツを人より一生懸命取り組んで、結果を出せば、
良い大学に入る事ができます。
僕は高校生の時、将来、水泳でご飯が食べれると思っていなかったから、
絶対、インターハイで優勝して、日本一になって
良い大学にスポーツ推薦で入学しようと決めていました。

 
高校2年生のインターハイで2位になった後から、
複数の大学からスポーツ推薦の話を頂き、
確か、高校3年生の4月か5月くらいには明治大学体育会水泳部からオファーを受ける事を決め、
政治経済学部を選択する事も決めていました。
どうして政治経済学部を選んだかというと、複数の学部を選べる選択肢の中で、
唯一、自分から興味が持て、勉強してみたいと思ったからでした。
高校3年生のインターハイでやっと優勝する事ができ、初めての日本一になることができました。
母子家庭で、大学の授業料をどうやって支払っていくかという問題があったけれど、
僕が卒業した明治大学にはスポーツ奨励奨学金というものがあります。
この明治大学スポーツ奨励奨学金は、
毎年、全学年の体育会生の中で数十人に対して、
授業料相当額の給付(返還不要)をして頂ける制度で
(大学が定めた必要取得単位を満たして、また世界・国際大会で優秀な競技成績を収める必要がある)
当時、僕は大学4年生の時にくるロンドンオリンピックに行く為には
毎年結果を出す事が必要不可欠だと考えていたから、
この基準は絶対クリアできる、しなきゃいけないと思って、
明治大学に入学しました。
当然、クリアできなかったらどうしようという不安もありました。
だから、他の体育会の学生と着眼点が違っていたんじゃないのかなと振り返ってみると思います。
毎年、毎年必ず結果を出そう。

 

 

 

じゃないと大学を卒業できないという意識を常に持っていました。
結果的に、僕は4年間このスポーツ奨励奨学金を給付して頂き、
授業料を払う事ができ、4年で大学を卒業し、学生時代にオリンピックに出場することができました。
スポーツで勝ち上がるには、ハングリー精神が必要だと僕は思います。
競技にかける想い。 何が何でもという気持ちが大切です。
ここぞという勝負のとき、その想いの強さで、結果が変わるからです。
だから、家が貧しいというハンデを持ったとしても、
逆にそれを武器、強さにする事ができるのがスポーツだと僕は考えます。
僕はそういう想いを持って、今まで競技に取り組んできて、
常に篩いにかけられる世界で生きてき、
今もこうして水泳選手として生きています。

 

 
だから、家庭環境が貧しい家に生まれたとしても、その事に対して
悲観したり、グレたりしないで、
(めちゃくちゃ辛い想いや苦しい経験をするかもしれないけど、それを乗り越える事ができれば、強さに変わるから)

 
なにがなんでも、ここから抜け出す、誰よりも上に行きたい、1番になりたい、勝ちたいという気持ちを持って、
スポーツでも芸術でも勉強でもなんでもいいから、
人より、何倍も努力して、結果を出して、
自分の力で自分の人生を切り開いてほしいと僕は考えます。

 

 
もし、そういう境遇にいる後輩達や僕より下の世代の子達がいたら
そうアドバイスしていきたいです。
僕ももっと頑張ります。

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HC-2.9km

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George O'Brien (Front) and Yasu Hirai

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IMG_4755ゴールドコースト→オークランド

ゴールドコースト→オークランド

移動時間は約3時間。
東京から沖縄に行く時間感覚だろうか。

千葉にずっと住んでいた、学生時代からは想像できない振り幅の移動と生活スタイルになった。 けれど、こういう生活を目指して僕は生きてきたわけでもあって、
イメージが現実となった1つの形かなともぼんやりと思ったりもする。

去年、西オーストラリア•パースでトレーニングをしていた時に、
チームメイトであったオーストラリアチャンピオン、ニュージーランドチャンピオンの2人がこのシリーズに参戦する生活をしていた。

そこで初めてこんなOWSのシリーズがあるのかと知ったのだ。

インターネットが普及し、世界中の情報がどこにいてもどんな時間でも
簡単に手に入れられるようになった反面、なぜ僕は、日本にいた時に
見つけることができなかったんだろうと、ナードな気持ちになった。
昨年のある日。

はやり、世界で戦うには、世界と同じ競技生活のルーティンで過ごさなければ
ならないと強く痛感し、自分からそこをディグりにいかないと、日本人で挑戦した事のない事にトライしているのだから、攻める姿勢、求める姿勢を常に持つ事の重要性を再確認した、当時、23歳の僕だった。

24歳になった僕は、今年は必ずこのシリーズに参戦したいと決意していたので、5月にGCに移動しボンドスイミングに加入してから、その想いはコーチに話していており、今までボンドスイミングから、このシリーズに参戦した選手がいたので、オーガナイザーとコーチの交流が継続的にあり、
僕の招待選手(エリート選手)としての参戦が叶ったのである。

僕の今取り組んでいるOWSという競技はオリンピックに
世界で25人しか出場できないという種目の特性上から、
OWSのオリンピアンというのはどこに行っても良く評価してもらえることが、
世界を回っていて強く実感する事である。

ちなみに、TV放送もされるこのシリーズが開催される、ニュージーランドでは
まだ1人もOWSでオリンピックに出場したことがない。

エリート選手と呼ばれる招待選手は
オーガナイザーが定めた一定の実績を持つ選手が対象になり、
そこから選考される。

だいたいはAUS,NZの代表選手達であり、また競泳のトップディスタンスの選手、第1戦ではコモンウェルスゲームのチャンピオン、第2戦では短水路のAUSレコードホルダーも参戦していた。

ボンドスイミングからは、僕とジョージ•オブライエン(AUS代表、昨年のシリーズ2位)が今年参戦している。

エリート選手は6戦中3戦出場する必要があり、
各試合で順位によってポイントが与えられる。
最終戦だけはポイントが2倍。
だから、最終戦が1番重要ということになる。

僕らのエアーチケットはシリーズのスポンサーにジェットスターがついており、
ジェットスターが負担してくれている。

宿泊先は、これは興味深いシステムだなと思ったのだが、
オーガナイザーが各選手にホームステイ先を手配してくれる。

僕は、ホテルを用意されて宿泊するよりも、
人の暖かみや優しさを感じる事ができるホームステイのほうが
良いと思っている人なので、このシステムはナイスだなと感じている。

第1戦目はイベントオーガナイザーの両親の家に宿泊し、
第2戦目はオークランド市内でブッチャー(肉屋さん)の家に宿泊した。

オーガナイザーの両親は昔、東京に住んでいた事があり、凄く親日で
いろんな日本の事を話せて、その事が素晴らしかった。

ブッチャーをしているトゥレスティンの家に宿泊した時は
夕食でめちゃくちゃ美味しい、ビーフステーキ、ラム、ソーセージを出してくださって、それが本当に美味しくて、感動した。

どちらも凄く親切にしてくれ、感謝の気持ちが強く残っているし、
これからもずっとつき合っていきたいなと思っている。

まら、オーガナイザーからプリペイドのクレジットカードがエリート選手達には渡され、現地での食事や試合に必要な物資をそのカードで調達することができる。

第1戦目はPAIHIAというオークランドから車で3時間くらいのところにある場所にオーガナイザーから渡された車で、僕とジョージ、マイケル(AUS代表)と向かった。
ただ、行きに関しては、事故に遭遇し、到着するまでに6時間もかかった。
到着した頃には、僕らはクタクタで、早く寝たいという感じであったが、
会場の海で、ウェットも着ずに15℃の海を少し泳いだ。
さいしょは呼吸もできなくて、凍えしまうかと思ったが、泳ぎ続けているうちに
身体があったまってきて、泳げるようになっていった。
人の身体はタフだなと思ったよ。

試合前日の夜は、みんなで確か、どデカいハンバーガーを食べたと思う。

Paihiaのレースは3.8kmのワンウェイで
スタート地点には、出場する選手達はゴール地点から出る
フェリーに乗って向かった。

フェリー移動は気持ちが良かった。

レース前は、レース受付をして、チップを装着し、
ウェット着用必須なので、
支給されたブルーセブンティーのウェットを受け取り、
ストレッチと軽いドライをやったかな。

選手の荷物は、トラックにつめて、ゴール地点まで運んでくれるシステム。
凄いよね。

レースの事に関して言えば、勝つ事ができて、ホント嬉しかったよ。
やっぱり、何事も初めての事はドキドキして緊張するからね。

ゴール前に強いうねりがあって、
自分で泳ぎながら、こうコースどりすれば、いけるんじゃないか?って瞬時に考えて、
スパートしたんだよね。結果それが的中して、勝つ事ができたんだけど、タフなレースだった。

第1戦目で勝つ事ができて、いい感じでNZでヤスヒライジャパーンがデビューしたのであった。

ホームステイ先に戻ったら、TVのNEWSでさっき泳いでいた自分の映像が流れ、名前が呼ばれてて
不思議な気持ちだった。

そのとき思った事は、
日本でマイナースポーツと呼ばれる競技に取り組んでいても、その競技が盛んで、社会的に認知されている評価してくれる国に自分が行って、そこで結果を出せば、道が開けてくるとその時、僕は思った。そこで自分の努力で掴んだ実績で、有名になっていけばいけばいろんな可能性が生まれてくるじゃないかって。海外は純粋に競技で結果を出す事に対して評価をしてくれるしね。 大学生のとき、須藤元気氏の本を読んだときの事、覚えてるけど、逆輸入的なやつ。 あれでいいんじゃないかってね。

第1戦目はジョージとマイケルと3人でずっと行動してて、それも凄く自分にとっては楽しかったし、自分を成長させてくれる経験だったと思う。
日本でずっと生活してたら、日本人としか一緒に過ごさないし、そういう海外の感覚とかってリアルに身に付かない。
日本から出たら、自分は外国人になるわけで、じゃあ、外国人の自分をどう表現するか、相手とコミュニケーションとっていくかっていうのは、
やっぱり、こういう形で一緒に過ごさないとわからないし、感覚も身に付かないと思うんですよね。
こういう事が、実際の競技においても、生きるわけで。
例えば、海外試合でドキドキしなくなるとか、過剰に海外選手に対して、ビビったりしないとかね。

良いスタートを切る事ができて良かった11月でした。

それで、2週間後、第2戦は@オークランドで。
試合にあるスカイタワーを目指して、泳ぐコース2.9km。
1600人も一緒にあの市内の中心の海を泳ぐなんて、すげーすげーって僕は心の中で思ってました。

2戦目は、今夏のパンパシで2位になったAUS代表のジャロット•プートも出場していて、
彼に勝つ事が1つの目安になると思っていたから、とにかく、勝ちたい、勝負するっていう気持ちが強かった。

2戦目も勝つ事ができて、嬉しかった。 やっと、だんだん 力の出し方とか、レースの組み立て方が
身体で理解できてきた実感が出てきたと感じている。

連続して勝つ事ができたおかげで、NZでだんだんぼくという存在を認知してもらえてきていることを
実感している。素直にそれは嬉しい。

結果って大事ね。ホント。なかなか結果を出す事って大変なんだけど、
結果を出す事で道が開けてくるからね。人生。

レースが終わって、オークランドの中心を、チームメイトのジョージと少しだけ散策した。

オークランドは東京と香港とニューヨークをミックスした感じにニュージーランドという国のベースがある街だと感じた。
緑とコンクリートジャングルにアップダウンのある街のつくり、狭く密集し入り包んでる感じがとても好き。
ストリートカルチャーも存在している。オーストラリア(ゴールドコーストにはない。)
SSUR、HUF、Crooks & Castles BILLIONAIRE BOYS CLUB NIGO adidas carhartt のラインが目立った。 あと古着屋もたくさんあったね。
スニーカー屋もたくさんあって、NZでも ASICS GEL LYTE がメインでピックされていて、ああほんとすげーってなって感じた。

オークランド大学、図書館の周りもシャレてたなあ。

海沿いのカフェやご飯屋さんもクールなお店がたくさんあった。

市内の駐車場の値段は高いけど。

GCにはない魅力があって、いつか住んでみたいと思った。

次、オークランドに行くのは来年の4月、最終戦に出場するため。

必ず、シリーズ制覇したい。

この2つの試合を通じて、僕は少しずつ着実に、世界と生きる為の力と、世界で勝負する為に必要な

感覚を手に入れている事がができたと思う。

自分の実体験で得た結果で、自信をこれからもつけていき、リオの舞台で自信を持って、スタートしたい。

最後に。

2011年単身、イタリアのボローニャに1ヶ月、トレーニングに行った事がある。

あるオフの日、僕はボローニャからフィレンツェまで、ユーロスターに乗らず、各駅の電車で行った。

今でも忘れられない、出来事だ。

電車に乗っているとき、見た事もない景色がそこにはあった。

その時、抱いた気持ちがずっと心の中にある。

人生すべてをかけてでも、世界の3分の1もぼくは行く事も知る事も感じる事もできないだろう。

世界は広い。人生は短い。

と。

あれから、3年が経とうとしているが、その光景は脳裏に焼き付いているままだ。

僕が取り組んでいる競技の特性上、世界を回る事が多い。競技を通じて、できるだけ、リアルな世界を感じて生きながら、

国際感覚を身につけて、どこでも生きられ、活躍できるような人間になっていけるようにしたい。

続く。

 

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もし、明日食べるご飯がなかったら、その日その日を懸命に生きて、
明日も明後日もまたご飯を食べれるように生きるでしょ。

 

 

 

 

 

僕の人生観、ある意味自分の哲学というものはこんな感じだ。

 

僕は母はピアノの先生、父は自衛官という家庭の長男に生まれた。

 

僕が生まれて3年後に弟も生まれ、僕らは4人家族だった。

 

たぶん、僕が8歳くらいの頃だったと思う。 父さんと母さんが仲が悪くなって、

僕と弟と母さんの3人暮らしが始まった。

 

 

母さんは自分1人で、僕と弟を育てていかなければいけなくなった。

 

 

僕と弟は母さんのお母さん。おばあちゃんと一緒に暮らした。
僕と弟は、僕が中学校3年生の時、おばあちゃんが死ぬまで、おばあちゃんと多くの時間を過ごした。だから、僕はおばあちゃんが大好きだった。

 

 

おばあちゃんは結構ハデな洋服やアクセサリーが好きで、おしゃれだった。
そういう、おばあちゃんの好みは今の僕の好みにも影響していると思う。

 

 

実際、今僕が付けている指輪やネックレスはおばあちゃんが使っていたもの。

 

 

もう一緒に過ごす事は一生できないけれど、どんな場所、どんな国に行っても、僕はこのアクセサリーを身にまとっているから、おばあちゃんと一緒にいられている気がして、
パワーがもらえている気がするんだ。

 

 

 

母さんは介護士の学校に通い、資格を取得し、病院で働くようになった。
日勤に加え、夜勤もしていた。

 

 

結婚する前はピアノの先生をしていたのに、僕らを食べさせなきゃいけないから、
学校に通ったり、昼も夜も寝ないで、働いて。

 

 

そんな姿を見ていて、僕は水泳の練習でどんなにキツいメニューがあっても、結果が出ない時があっても、絶対乗り越えて、強くなろうと自然に思えた。

 

 

そういう強い想いがあって、僕は遅咲きながら、高校3年生、最後の夏のインターハイで
優勝し、日本一になれ、その4年後、オリンピックに出場できたんだと
結果論だけれど、そう感じる。

 

 

 

母さんの姿を見ていたら、ぜってー、篩にかけられる世界で生き残こってやろうって

思うでしょ。

 

 

なにかのインタビューで、どうしてここまでこれたと思いますか。と聞かれた時に、

こう答えた事がある。

「他の人達と僕は想いが違うんです。」

 

 

 

僕にとって、小さい頃から今日も続けている水泳は、
自分が生きる為、自分の可能性を高める為の手段であると思う。
スポーツに取り組む理由は人それぞれ違くて僕は良いと思うし、自由だと思う。
大事な事は結果を出す事。それ以上もそれ以下の事もない。

 

 

 

 

 

 

 

僕の父さんは、僕と弟の親権を自分に譲らないと、
離婚しないっていう考えの一点張りだった。

 

 

それが故に、僕は小さい頃、凄く辛く想いやハードな出来事を経験した。

 

 

僕も弟も父さんと暮らす気はなかったし、尊敬できなかったから、
母さんとばあちゃんと一緒に暮らす選択を選んだ。

 

 

僕と弟が成人したら、親権なんて関係なくなって、ちゃんと話し合って、蹴りをつけるのかなとずっと思っていたけれど、実際はそういう事はなかった。

 

 

僕は父さんと別々に暮らしてから、2回会った事がある。

 

 

1回目は、2010年、羽田空港で会った。

 

 

2回目は大学卒業する前の2月に。

 

 

僕が長男で動かないと、家族で話し合う事は一生なくなってしまうし、

いつまでたってもこの状況から変わらないと思って、時間をつくって動いた。

父さんに会いにいった。

 

 

僕は成人したし、弟ももうすぐ成人する。
だから今、家族が皆集まって、話し合う事を僕は望んで
父さんに会い、父さんと話したが、残念ながらそれがその後、実現される事はなかった。

 

 

その時、悲しいことだけれど、
これ以上、僕がこの件に関して、労力を注いでも、進展がないと思ったし、

 

 

今は水泳にもっと時間を注がなければいけないと思ったから、あれ以来
この件に関しては今は動いていない。

 

 

 

なかなか難しい。こういうのって。

正解なんてないから。

 

 

 

 

 

 

いつか、母さんもう働かなくていいよ。って

 

 

僕が水泳選手として結果を出し、めちゃくちゃスターになって

 

 

稼いで、母さんにそう言える日がいつかくるのが、僕の最終的な目標。

現実まだそれは達成できていない。

 

 

サッカーや野球のように僕の取り組んでいる競技は何億円というお金は稼ぐ事はなかなかできない。

 

 

 

けれど、オリンピックでメダルを獲得できたら、少しはそれが現実的になるんじゃないかと考えている。

どうして、こんな事を書いたというと、

 

 

僕っていうアスリートはこういう環境が背景にあって、育ってきて、今があるから。

 

 

 

これが僕のバックボーン。僕が今まで歩んできた道。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、僕はオーストラリア ゴールドコーストに移り、ボンドスイミングに加入し、
オーストラリア代表コーチから指導を受け、
同じ目標を持っているオーストラリア代表の選手達と練習し

 

 

2年後、開催されるリオデジャネイロオリンピックで、
日本人、アジア人初のOWS競技でのメダル獲得に向け取り組んでいる。

 

 

 

オリンピックを目指すアスリートは、毎日、毎日、どんなときも、オリンピックの事を考えながら生きる。 それはある意味異常な事だと僕は思っている。
実際、そういうメンタル状態でないと、オリンピックに選手として出場できないし、
もっと突き詰めないと、そこで戦えないと、1回オリンピックに出場してみてそう思う。

 

 

なんて言っても、オリンピックというものは4年に1回、しかも1発勝負だから。

 

 

 

千葉の我孫子、柏というエリアで育った僕が、
なぜ今、ゴールドコーストにいるのかという事も、実に興味深い事だと思う。

 

 

 

また次回、その事については書きたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は夢や目標は逃げないと考えている。

 

 

 

そこに本当に想いがあり、必死にその事に取り組めば、達成できるからだ。

 

 

それは24年間、生きてきて、常に篩にかけられる世界で、結果を出す事でしか
生き残れないという場所で生活し、生き残ってきた実体験があるから

 

そう考えているんだと思う。

 

 

今まで、生き残れてきても、この先、もしかしたら篩から落ちてしまうかもしれないだろう。

僕はそうは考えない。

 

 

 

自分の実体験でしか得れない、自信をつけて、自信を大きくして、

最後まで生き残り、まだ見えない世界を見てみたい。

 

 

 

僕が結果を出す事によって、自分を支えてくれる人達、応援してくれる人達、助けれくれた人達の期待に応えたい。
みんなとWin-Winの関係を築いていきたい。幸せになりたいと思う。

 

 

 

だから、僕は頑張らなくてはいけない。

 

 

 

 

 

僕は中学生の頃から洋服や音楽に興味を持ち、凄く、そのカルチャーが好きになり、
影響を受けている。そういう流れで、いろんなラッパーの自伝を読んだ。

 

 

 

 

特に大切な本が2冊ある。

 

 

 

この2冊の本には、ところどころに青マーカーで線が引いてあり、折り目もたくさんついている。この本から学び、自分の競技生活において、かなり応用させてもらっている。
2冊の本から学んだこと、感じたことを最後に少し書きたいと思う。

 

 

 

1冊目は
50CENT ノー ホールズ バード カーティス ジャクソン3世の実話/ジェイク ブラウン著

 

 

 

著書の68ページに

「人はいつか死んでしまう。だから、あの黒人らの誰かを恐れてないわけじゃねぇ。死は巨大な娯楽の一部だ。アクション映画はすべてがそのシナリオに基づいている。もし俺らがそれをやったら死んでしまうだろう。死ぬことを考えて今日を過ごしたら、明日意欲を持って目覚めるなんて無理だぜ。俺は少しで良いから自分の人生を変えてみたい気分なんだ。だっていきなり9発も撃たれたら(そして助かったら)、自分の人生には何か指名があるんじゃないかと思うだろ?俺はその自分に課せられた使命が何なのかを考えているのさ」

 

 

 

 

2012年6月10日にポルトガル セチュバルで行われた
ロンドン五輪OWS最終選考会で僕は9位以内に入れば
オリンピック出場権が獲得できるという中、6位でゴールした。

 

 

 

多くの人が僕のまだ誰も日本人で成し遂げたことのないOWS競技での五輪出場を疑っていた。
自分自身も不安と、行けなかったらどうしようという恐怖を感じていた。

 

 

 

だが僕はあの日、自分の人生の行く道をより良い道に
自分の努力と取り組みで方向転換できた。

 

 

 

夢が現実の世界で実現した日だった。

 

 

 

 

引用した50CENTの著書の文章ではないが、
この競技でもっと極めろと。あの日課せられた使命がなんなのが僕は知りたいし、
更に自分の人生を変えてみたいから

 

 

 

道のないところに道を作り、更に突き進んでいかなければならない。

 

 

 

 

2冊目は

JAY-Z ロッカフェラ王朝を築いたヒップホップの帝王/ジェイク ブラウン著

 

 

 

 

僕は大学在学中、アメリカ文化研究のゼミに入っていたこともあり、
卒業論文でこの本をベースに、「HIPHOPの帝王 JAY-Zから学ぶアスリート向上論」
という卒論を書いた。

 

 

 

 

 

卒論で著書の第11章を読んで、まとめて書いた文章の中で

 

 

 

常に一歩先の事を現実に生きながら、考えて行動する事。
そして、目標を叶え、更に自分を磨き、それを公の場で発言する事により、
自分の言葉に責任ができる事により、もうやれなければいけない。この勝負を楽しもう、やってやろうという気持ちになるはずだ。誰かが、チャンスを与えてくれる事を待つのではなく、自ら、チャンスを追いかけ、それを掴めるようにならなければ、上には行けない事を教えてくれている。

 

 

 

これが僕のスタンスだと思う。そしてこのスタンスで取り組んできて、
今日までこれたと思う。

 

 

 

 

これから、ここで僕の想いや考えを綴っていく。

 

 

 

 

このブログを見てくれているすべての人達と切磋琢磨していき、
良い相乗効果がお互いに得られる事ができれば最高だなと思う。

 

 

 

 

時間は無限にあるものではなく、有限だ。

 

 

 

だから、自分でリミットを決めて、その中で必ず

 

 

 

自分が掲げた目標を叶えたい。

 

 

 

 

 

やす

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