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サンタモニカスイムチームでトレーニングしてから
もうすぐ1週間になります。
どうして僕が今ここにいるか今日書きたいと思います。
簡単に言ってしまえば、今年7月の世界水泳で優勝したジョーダンウィルモンスキー選手がここにいるからです。
彼は僕の中の常識を思い切りぶっ壊してくれた選手でした。
それはどういう意味でしょう。
彼は身長が170cmありません。168-9cmくらいです。
オープンウォータースイミングの10km 競技とはいえ
自由形の競技です。
絶対的に自由形では身長が大きい選手が有利であり、
体格の差が競技力に大きく出る種目です。
実際にロンドン五輪でメダルを獲得した3選手は皆
180cm以上あります。
自由形という体格の差が競技力に大きく出る種目で
彼は今夏、世界一になりました。
僕の中ではどう考えてもどうして彼が勝ったのか
考えても考えても理解できず、
もうこれは自分で彼がトレーニングしている場所まで
行き、たとえ短期間でも一緒にトレーニングを行い
同じ時間を共有する事が必要であろう。それが自分にとっても大きなチャンスと考えたので、この地にきました。
ジョーダン選手のコーチは
デイブ•キルシャーマーというコーチで
彼は先日、僕がトレーニングに行ったメルボルンのチームでコーチをしていた経験があり、また昨年のパンパシの頃から面識があり、コンタクトしていて、今年の世界水泳で、もしかしたら彼と関わるかもしれないと思い、連絡先を聞いていて、練習にも行ってもよいか。と確認をとっておいた経緯があります。
松田丈志さんからフラッグスタッフ合宿のお誘いを頂いた後に、
サンタモニカでジョーダン選手とトレーニングしようとおもい
すぐにデイブコーチに連絡して、今回のこういう形で受け入れてもらっています。
今度またの機会に書こうと思いますが、誰でも簡単に海外チームに一時的に加入しトレーニングする事はできません。
ある一定の実績と個としてのパーソナリティが必要になります。
僕は5年かけてこの事を自分の実体験を通じて
いつでも自分がトレーニングしたいと思う海外チームに加入する
策を見つけ、それを自分の力で掴みました。
1週間という短い期間ですが、
ジョーダン選手とデイブコーチから学ぶ事がたくさんあります。
ここにこなければ分からない事がたくさんありました。
なぜ、彼が170cm以下の身長で世界王者になれたのかが
感じとれます。
練習以外でも食事に誘ったりして彼の考えや想いを聞いて
学んでいます。
どうして僕がこういう行動をとるかというと
僕は本気でオリンピックでOWS競技でのメダルを獲得したいからです。
その為の最短の方法としては
世界王者と同じ時間を共有し、直接、本人とコーチから学ぶという事が僕は1番大切だと思ったからです。
彼と一緒にトレーニングをできる時間は残り3回の練習だけです。
リオで彼に勝つ為に、限られた時間の中で彼とコーチから
勉強して、強くなりたいです。

昨日のお話。
2015/08/30

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昨日は、チームメイトのカイハーストが新居に建てたということで彼のハウスパーティーに呼んでもらいました。
カイを初めて知ったのは2010年。日本で今、所属しているライフセービングクラブのある人からいきなり連絡がきて、平井君は日本のカイハーストになれると思うから、ライフセービングやってみないか。って誘われた時に初めて彼を知りました。
カイは、北京とロンドンオリンピックにオープンウォーター競技で出場し、本業のライフセービング競技で全豪チャンピオンに何度も輝き、こちらでは知らない人はいないってくらいレジェンド選手です。テレビにもガンガン出てるし、子供たちのヒーローみたいな存在。
OWS競技からは退いてしまいましたが、
今も尚、こちらでは超ポピュラーなライフセービング競技のプロシリーズニュートリグレインで活躍しています。
カイを初めて知ったとき、なにもコネクションもなかったし、知り合いでもなんでもなかった。
オリンピックを目指す過程で、遠くの遠くの存在だった彼と気づけばロンドンオリンピックで戦い、しかも彼に勝つ事ができた。
ロンドンで彼に勝ったという実績が僕にはあったから、
今こっちで受け入れられて、競技ができ生活できている。
オリンピックで一緒にレースをした後、まさか彼と一緒のチームになって、日々練習をしていく中で近くにいなきゃ学べない事、感じれられない事が本当にたくさんあったし、
そういう事を僕は1番知りたかった。
カイに世界水泳カザンの前にメッセージのやりとりしていて、
アドバイスしてくれて、レース終わった後も、ヤスはもうこの競技の中でトップスイマーの1人だよ。オレはお前を誇りに思ってるよって。メッセージもらった時は、結構、感極まるものがあった。
短期間ではけっして成し遂げられないけれど、軸を決してぶらさず、高い目標を立て、それに向かって突き進んでいくと、憧れが現実になり、越える事があるという事が彼との関わりの中でわかった。
カイに競技結果でロンドンの時に勝てたけれど、彼の存在感やカリスマ性をこえることはまだまだできていないし、自分の中でのアスリートのロールモデルの1人であることは永遠に変わらない。
昨日は本当、カイの家族や仲の良い知人だけしかいなかった空間に自分も呼んでもらえて、その時間を過ごせた事がとても嬉しかった。
なんでこんな事書いたかというと、
ついこの間、僕よりしたの世代の選手達は自分に壁を先に作ってしまい、
自分はそんな選手になれないとか、そんなタイムを出せないってやってもないのに、決めつけて競技をしている選手が増えているって耳にした。
それを聞いたとき、すごくもったいないなと思った。
憧れを憧れで終わらせてはダメだと思う。
ダメというか、つまらなくなっちゃうって人生が。
できるかわからないけれど、攻めなきゃ。
生き続ける限り、新しい自分に常に出逢おうとする事が僕は1番楽しい事だと思うし、幸せな事だと思う。
誰にってわけではないけれど、
僕より下の世代の選手達には僕よりもチャンスと可能性があるから、壁をつくらず、いけるところまで突き進んでほしい。

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初めて出場した2011年の世界選手権は36位。2年前の世界選手権は21位。3回目の今日。11位。

今日の世界選手権のレースで10番までに入れば1年前にリオオリンピックの出場権が獲得できるレースでした。
僕は11位という結果で9位と10位のイタリアとブラジルの選手と5秒差でした。
僕はラストだいたい700〜600mくらいのところで彼らと同じ位置で泳いでいました。
しっかりと覚えています。
ただ僕らは若干、ゴールに対してまっすぐではなく、外側を泳いでいたので、僕は彼らから自らの選択で離れ、内側に入りゴールを目指しました。
結果論になりますが、この選択が今回、僕が1年前にリオデジャネイロオリンピックの出場権を今日獲得できなかった敗因です。
今回は2,5kmを4周するコースでした。
2周目を泳いでいる途中、4km地点でしょうか。
急に気持ちが悪くなり、呼吸が浅くなりました。身体が急に熱くなってくるのがわかりました。
原因は、スタート時の水温よりも、日差しがどんどん強くなっていきレース中に水温が上昇しためです。僕は手首と足首に低水温対策でホットジェルを塗っていました。自分が予想していた水温よりも2、3度高くなったため、ホットジェルの効果が僕の体調を崩してしまったのです。
身体が熱くなって本当に頭がパニックになって、途中棄権しようか迷いました。僕は何か変えなきゃと思い、被っていたスイムキャップを手でとり、頭が冷えるようにと行動しました。
なんとか2回目の給水ポイントまでたどり着き、砂漠で乾涸びそうになったような身体に
500mlの給水ドリンクを一滴も残さず補給し、集団に戻っていきました。あの給水は本当に命拾いをしたなと飲んでいて感じました。
今までこんな経験はレース中になかったので、本当に焦りました。
よくあそこで諦めずにキャップをはずしたりして、なにかを変えようとして前を向き続けられたなと今振り返ると感じます。
僕は今回ラスト1周の勝負になるだろうと、しかも10km泳ぐ中の最後の数百メートルの勝負になるだろうと。今年のワールドカップなどの過去のレースから想定していました。
実際そういうレースでした。本当にラスト1周はキツかった。何が辛いって全てが辛かった。
ここに来るまでに何百キロも激しい練習に取り組んで準備してきたけれど、辛かった。
先頭引きしていた選手も続々とバテてしました。けれど、皆、自分の国を背をって、自分の人生を懸けて、この今を泳いでいるので、
踏ん張ろうとしているのが良く伝わってきました。
なぜ、僕はあの時、彼らと最後まで一緒に泳ぐ事を選択せず、自分自身で勝負しようと思ったのだろうか。過去の経験上、その選択の方に、確立があったから、あの判断するコンマ何秒で違う進路に移ったんだと思います。
後悔はしていません。勝負をすると決めた判断だったので。
レースが終わって、僕はドーピングの対象になり、ドーピングの尿検査を受けました。
10位になったイタリアのフェデリコ選手もそこにいました。彼とはずっとワールドカップでも戦ってきていますし、個人的にイタリアが好きなので、良く知っている同士のような存在です。
僕は彼におめでとう。と一言、検査を終えて部屋を出る時言いました。
僕は今まで、他の選手が良い結果を出せた時、おめでとうとか勝った相手を讃える事ができる選手ではありませんでした。けれど、今日は無意識に彼に一言 おめでとう。が言えました。
今思うと、きっとそれは僕も今日全力で力を尽くして出た結果だし、彼が僕と同じようにオリンピックを目指しずっと競技に打ち込んできているのを知っているから、素直に言葉が出たのではないかと思います。
少しは人として成長できたかな。
今日、僕は有言実行する事ができなかったし、白黒の世界では黒でした。
けれど、結果を残せなかった事を直に受け止め、腐らず、前を向ける姿勢に切り替えれる
ことはできた。
それは僕は本当に色々な方々に、日本でも海外でも応援して支えてもらっているから、
ゴールして、10番に入れていない事がわかって、なにも考える事ができなかったけれど、
頭の中にたくさんの僕を応援してくれている人達の顔が浮かんだから。
日本では所属の朝日ネットの皆さんがモニター中継で僕のレースを観て下さっていました。
土方社長、溝上取締役、いつも僕の面倒をみて下さっている人事部長の河野さん、社員の皆さんに、今日リオを決めて、会社に戻って再会したかった。その事を考えると苦しくなる。
これが現実なので、ちゃんと受け止めなければいけない。
来年6月ポルトガルでリオデジャネイロオリンピック最終選考会が開催されます。
ここで10番以内に入ると出場権を獲得できます。
今回トップ10に入った国はこの最終選考会には出場できないルールがあります。
前回はこの選考会で6位に入り、ロンドンを決めました。
来年のこの選考会では確実に出場権を勝ち取り、リオに闘いにいきます。
11番という結果の意味をこれから1年間、日々自分に問いただして明日から夢を叶える為に生きていきたいです。
本当に皆さん応援どうもありがとうございました。
僕は必ずもっと強くなってくるので、僕が泳ぎ続ける限り、見守っていてください。
お願いします。

やす


from https://www.instagram.com/yasunari_hirai/

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先週の今日。朝練習と午後練習の間の時間に
本場イタリアで活躍され、北京五輪にも出場されたロードレーサー宮澤崇史さん(http://bravo-tm.com)から
どうしても世界水泳に行く前に学びを受けたく、
無理を言ってお時間をつくって頂き会って頂きました。

僕はオーストラリアに行ってから、テレビやYoutubeでロードレースの試合を観るようになりました。
それはなぜかというとオープンウォーターのレース展開と共通する点があるのではないかと感じたからです。そしてそこから参考したい、応用したいと思ったからです。
僕は他ジャンルから学び、自分の競技に応用するスタイルを良く取り入れます。

それは僕が日本で自分が取り組んでいる競技でパイオニアで、過去に日本でオープンウォーターで活躍した選手がいないのですし、専門的にオープンウォーターを指導できるコーチもいません。

だから例えば起業家の自伝や講演を読んだり、聞いたりして、誰も成し遂げた事のない事業を成功させるプロセスや目標を達成するアプローチ、枠組みを学んだり、
他競技からトレーニング方法や試合に活かせそうな事を探したり、みつけています。
なので、自分でいろんなところから知識や情報を手に入れインプットし、それを実際の競技生活の中でアウトプットして今まで成長してきました。

ただ、やっぱり何事も本当のリアルな事、情報や知識を知る為には実際にその場所で戦っている方に自分が直接お会いし、話を聞かなければ本質はわからないと思っていました。

今年2月に明治大学の先輩、本田直之さん
(http://www.leverageconsulting.jp)のご紹介で崇史さんにお会いしました。

僕は崇史さんから、実際のレースで集団の中ではどういう心理状態で、どういう駆け引きが起きているのか。
ラストスパートの駆け引きやポジションどりはどういう作戦があり、どうスパートしていくのか。

そういうオープンウォーターのレース展開と似ている点のリアルな事が知りたくて、たくさん質問しました。
崇史さんは凄く丁寧に答えて下さり、僕は頭の中にインプットしよう。インプットしよう。と集中して崇史さんの言葉を聞き込みました。

お会いした後もメッセージで前回の世界水泳の結果を崇史さんが分析して下さりもしました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
今回、崇史さんから学ぶ事ができた何点かの事はこれからアウトプットして自分の更なる向上にしっかり繋げていきたいです。
お話を聞く前に、こうかな、ああかなと仮説を立てていた事がアドバイスを受けた事でガチッとはまりました。
崇史さんからの学びを最大限に生かし、ヤスにあの時、アドバイスして良かったとおっしゃっていただけるように頑張っていきたいです。
崇史さん、ありがとうございました。今後とも宜しくお願いします!

やす


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約1ヶ月前の2月1日。

 

 

BHP Billiton Aquatic Super Series / Open Water Swim the Swan 10km 結果 17位 01:53:04.20

リオ五輪に向けての次へのステップへ行ける権利を手に入れる事はできたが、

自分が納得できるレース内容ではなかった。

今回のレースは、体調と精神面は本当に良かった。

しかし、僕の身体と一緒に10km泳いでくれるアイテムの調子がうまく機能しなかった。

10km、2時間泳ぐうえで視界をクリアに保つ事はなにより重要な事で、

自分が1番気にしている点である。

僕は大事なレースには常に新品のゴーグルをおろし、使用する。
今回もそうだった。
だが、今回はいつも愛用し自分が信頼しているゴーグルの機能がうまく働かなかった。

泳ぎ始めて、10分過ぎた頃から、ゴーグルの内側が曇り始めて、

5km過ぎまでに、泳ぎながらタイミングを見計らって、3,4回一瞬背泳ぎをしたり止まったりしながら、
指でゴーグルの内側をゴシゴシこすり、曇りを解消しようと試みたが、なかなかクリアな状態に戻らなかった。

さすがにこれ以上この動作を続けていると、リスクが伴うと判断し、ほとんど視界のない状態で、隣で泳いでいる選手達を頼りに、泳いだ。 ブイを探す為に過度なヘッドアップも多くしてしまい、だいぶ肩周りの筋肉のエネルギーを消耗しているのも泳ぎながら感じていた。

トップ集団と勝負する為に、準備してきたが、
世界選手権の代表選考会もかかっているこの試合で、万が一失速しては、リオの道が途絶えてしまう。

だから、僕は5km過ぎで今回のレースの目標を勝負する事から、確実に代表権をとるに変更した。

実際泳いでいて、視界がほとんどない状況はパニックになる。
だが、幸いにも今までいろんなレース中におきる試練を乗り越えてきたので
それだけは回避する事ができた。

レース中、とにかく、落ち着こう。落ち着こう。焦らず泳ぎ続ければ、大丈夫だ。
と頭の中で何度も念じた。

ラスト1kmの直線は前半に過度のヘッドアップをしてしまった影響でラストスパートすらかけることができなかった。
本当に身体が苦しくて、逃げ出したくなりそうな感情だった。

昨年末に、前回のブログにも名前をあげた、明治大学のポスターを撮影して下さった加藤さんとやり取りをしていた際に
今は2月1日の全豪選手権兼世界選手権野代表選考会に向けて取り組んでいると送ったメッセージに

「こうした要となるレースには、ハプニングがツキモノです。ハプニングは、これまで経験したことのないことを言います。しかし、毎日の積み重ねが、あらゆるハプニングを事前に回避する能力も備わってきたと思います。
02/01は、どうか、自信を持って望んでください。」

と返信を下さった。

加藤さんは、大事な試合の時に、こういう事、つまりなにか予想しない事が起こるかもしれないから
何が来ても、その時にああ、加藤さんが伝えたかった事はこれなんだと思う意味も込めて言って下さってくれてると思う。

ロンドンを決めた試合の前も同じ事を僕に伝えてくれ、実際に試合会場のポルトガルに行く便が日本から出発当日に飛ばない
というパプニングがあった。試合中もスタート直後に隣の選手の手がゴーグルに辺り、片目のゴーグルの内側が浸水して見えないという状況に陥った。

僕が考えるに失敗というものは傷口に塩を塗られるものだとおもっている。

人間だれでも傷口に塩なんかぬられたくない。
だから、1回失敗したら、2度同じ失敗をしないように本能的に改善しようと脳と身体が動く。

今回のこの失敗は初めてである。
だから、同じ失敗は2度しない。しないためになにを改善すればいいか考え、行動するからだ。

結果的に言えば、今回僕は、自分が立てた目標を半分しか達成することができなかった。
客観的に見れば、失敗と言われても仕方ない。
そう言われても僕は素直に受け入れる。

ただ1つだけ、長期的な視点でこの失敗を見れば、これからこの点は改善され、成功へのアプローチの確立が高くなると考えている。前向きだ。この失敗があったから、成功したんだ。勝てたんだと思えるように取り組んでいくだけだ。

実際に、レース後、自分のゴーグルをサポートして下さっている担当の方と連絡を取り合った。

新品をある期間おいておくとレンズ内側が乾燥しすぎて蒸気の浸透に時間がかかるどころか機能自体が発揮することができなくなり(ウォーミングアップなしみたいな感じ)今回は多分くもり止めが機能しない状態だったのかもしれないとのことで、水温、体温、外気とも関係するそうで、温水プールだと湿度が高いため置いておくだけでレンズ内側は湿気を吸い取る準備をはじめるが、屋外の場合逆だそうだ。
その点では、新品をよりは1、2度使用した方が間違いはないそうだ。(例えば、新品のタオルが水を吸わないまではいかないが)
水をつけるというよりぬるめの水をためておく、くらいの気持ちで、さらにつける直前に息を吹き替えて蒸気を当てるようことも効果があるそうだ。

(このブログを読んで下さっている全てのスイマー、トライアスリートの皆さんにも役立つ情報だと思うので、情報をシェアします。)

今まで、僕は新品のゴーグルをレース前にゴーグルの内側を濡らす作業を感覚的にやってきた。
それがゆえに、こういうことが起きてしまったとも言える。
だが、今回こういう性能の事が120%理解できたから、良かったと思う。
僕はこれからも今自分が使用しているゴーグルを使い続けるし、1番信頼している事には変わりはない。

このようなハプニングが起きても、瞬時に目指すものを変える判断ができ、それに対してはしっかり結果を出す事ができた。

世界選手権まで残り半年ある。その期間の中で、今回のレースと同じくらい高いレベルの試合があと数回ある。

まずは4月18日の日本人初のシリーズチャンピオンがかかるニュージーランドオーシャンスイムシリーズの最終戦で優勝し、5月2日のW杯カンクーン大会でしっかり結果を出して、ヤスが自分で言っている通りだなと客観的に僕を見ている人達に感じてもらえるように
取り組みます。

 

 

チームメイトとの別れ

 

 

白か黒か。

僕らの世界にはその2つしか存在しない。

2月1日の試合ではオーストラリア代表の1次選考会も兼ねていた。
このレースでオーストラリア人の中でTOP4に入らなければ、2次選考に進む事ができない。
世界選手権への道が途絶えてしまうというものであった。

チームメイトのジョージはオージーの中で2位入り、選考をクリアしたが、
サムが5位、女子の選手で昨年のパンパシ代表であったジェスも5位という結果だった。

一緒に同じ目標に向かって毎日一緒に練習してきた仲間がこのレースを最後に競技を退いてしまった。

サムはその後、地元のメルボルンに戻り、ジェスは婚約したタイミングもあり、競技から退いた。
特にサムに関してはいつも、僕、ジョージ、サムで競ってトレーニングしていたし、プライベートでも3人でいる事が多かったから、
彼がオリンピックを目指す道が途絶え、地元に戻るという話しを聞いたときは、凄く悲しく寂しい気持ちになった。

なんか、当たり前のようになっていた3人で切磋琢磨しながらトレーニングに取りんでいた日常は
実はとても幸せな事だったんだと思った。

僕は日本から、サムはメルボルンから、ジョージはブリスベンからリオを目指す為に
それぞれやってきた。

プールでの長距離の練習はとても単調な作業で
練習=プールの往復の繰り返しは実につまらないものである。
1人でコーチとマンツーマンで取り組んだら、息が詰まってしまう。
こちらに来て、オープンウォーター選手達がPool swimming is so boring と良く言う。
確かに僕も同じ感情を持っていたし、だからこそトレーニングパートナーを皆求めて
集まってくるのである。
1人では僕らが取り組んでいるトレーニングはできないとおもう。
トレーニングパートナーと競って練習する事でレースに近い状況で泳ぐ事ができ、練習の質が高まるのだ。
だからその友情のような絆も強い。

彼がいなくなってから、ジョージとサムがいなくなって寂しいねと。話す。
トレーニング中もふとした時に彼が隣で泳いでいないと思ってしまう。
そこに悲観し続けているわけではないのだが、やっぱり、寂しいのである。

僕とジョージはサムとジェスの分まで想いを背負って前に進まなければいけないと僕は思っている。
そういう気持ちはいざという時に凄く力に変わるのと僕は思う。
僕は結構涙もろい部分があって今こうして文字を書いていてあの頃の日々を思い出してしまうと涙が出てくる。

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(写真はサム、ジェス、僕、ジョージ、コリンコーチ)

 

 
これからの僕、世界水泳まで140日

 

 

選考会のレースを終えた僕のメンタルは相当疲労していた。

オリンピックという究極の存在がだんだん近くなってくると、普段よりも精神面の疲労が蓄積していき疲労がとれずらくなる。

蓄積しすぎるとモチベーションが低下し、練習に取り組む質が悪くなるのだ。

それは自分が目標を公言して取り組むスタイルということも少なからずあると思う。

なので、目標を目指しながらオンオフの切り替えがもの凄く重要になってくる。

パースからゴールドコーストに戻り数日トレーニングした後に、まず3日間メルボルンに行った。
精神面を回復させる目的で。ロンドンオリンピックを目指していた時の経験上ここで1度気持ちにオフを入れないと
残し半年走り続けられないと思ったからだ。

初めて行ったメルボルンは素晴らしかった。
ずっと行ってみたいと思い続けていた場所だった。
正直2週間くらい滞在しないとわからないと思う街であった。
僕が感じるにオーストラリアの都市の中で唯一カルチャーが存在する街だと感じた。
オーストラリアというベースにニューヨークとロンドンを合体させたという印象を受けた。
ストリートファッションからハイブランドまで取り扱うお店があり、レコードショップもたくさんある。
マンハッタンとブルックリンのような街の情景もある。
もっと時間があれば歩いてディぐってみたかった。
サウスメルボルンマーケットという150年の歴史のあるマーケットで購入した生ハム、サラミ、チーズ、ワインは
とても美味しかった。メルボルンのカフェのコーヒーも美味しかった。
この旅でこの地で新しい友達もでき、また落ち着いたら行きたいと思う街の1つになった。

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メルボルンからゴールドコースト戻り、成田へ飛んだ。

10日間ほど東京に滞在した。
この期間は主に世界選手権の日本代表に決まった事を所属の朝日ネットをはじめ
日頃から僕の活動をサポートして下さっている方々に報告に行く事が目的で、またゴールドコーストではできない身体の治療に取り組む為に戻った。もちろん、日本に戻るという事で精神面の充電もはかっていた。
どんなにインターネットが進化しようと、人間心あるものである限り、アナログなコミュニケーションが1番大切なのである。それを再確認した帰国であった。短い滞在期間であった為、自分が直接会って報告やご挨拶をしたいと思っていたたくさんの方々のところまで行く事ができなかった。次回帰国時には必ず。

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(写真は明治大学の大先輩であり柏市議会議員の山田一一先輩、僕のコーチをして下さっている佐野先輩、僕、柏市秋山市長、千葉県水泳連盟理事の鵜原さん。 2月17日柏市役所に伺い、柏市秋山市長に今夏ロシア・カザンで開催される世界選手権の日本代表に決まった事をご報告した後に撮影した1枚。)

日本滞在を終えて、ゴールドコーストに戻り、すぐにブリスベンからニューカレドニアに向かった。

昨年の香港でのワールドカップでニューカレドニアで開催される試合に招待選手としてオファーを頂き
行く事になっていたのだ。

オープンウォータースイミング選手である以上、世界中の海で泳ぎ、様々な環境での実戦経験を積んでいきたいという気持ちとオファーを頂けた事が素直に嬉しく、是非出場したいと思ったからだ。

3日というこれまた短い滞在であったが、ニューカレドニアの水泳連盟会長をはじめ、皆さんが凄く良くして下さり、
とても過ごしやすく、試合会場も海もとても綺麗で、大会も盛り上がり、満足のいくものであった。
ゴールドコーストに戻った後、所属の朝日ネットの英語表記のウェブサイトの問い合わせメール宛に
お世話をして下さったニューカレドニアの水泳連盟の偉い方の奥さんから凄く僕に対して好意的なメールを頂いた。
それが1番嬉しかった。 

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2月1日の選考会からめまぐるしいスピードで僕の時間が過ぎ去っていった。
それはきっと充実していたからであろう。
ニューカレドニアからゴールドコーストに戻った後、過密スケジュールをおくり、短期間で長い間飛行機にいる時間も多かった為、その疲労が一気にやってき体調が優れなかった。
だが、これも自分の中ではかなり前向きで、今までこういうスケジュールを経験した事がなかったので、
今後ある程度、自分の中で把握してスケジュールを組む事ができる。

何事も自分で実際に体験したり、経験しないとわからないのである。人間は。

世界水泳まで残り140日。

新しい事をこの1ヶ月でたくさん経験し、競技生活をおくるうえで1番重要な精神面の充電をはかることもでき、
目標を達成する為に走り続けられそうだ。
毎日、ああでもないこうでもないって試行錯誤しながらも常に前を向いて進んでいきたい。

終わり。

今の自分の実力は世界でどの位置なのかを知れる絶好の機会


 
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来月1日に去年住んでいた西オーストラリア•パースで開催される BHP Billiton Aquatic Super Series Swim the Swan 10km (全豪選手権)まで1週間を切りました。
今日の朝練で追い込みの練習も終わり。来週からは調整に入り、コンディションを高めていきます。
自分の知る限り、この試合でオーストラリア、ニュージーランド、日本の3カ国は今年7月にロシアで行われる世界水泳の選考も兼ねています。
他に、アメリカ、オランダ、イギリス、ドイツから強豪選手もこの試合に参戦します。
アメリカからは昨年のパンパシフィック選手権で優勝したAndrew選手、オランダからはヨーロッパ選手権でロンドン銀メダリストに勝ち優勝したFerry選手が
やってきます。

ロンドン五輪後、小さい頃から描いていた夢を叶え、目指すものがなくなり完全燃焼してしまった後、リオを目指すと決めてから、この2年間本当にいろんな事がありました。

大学卒業する直前まで所属が決まらず、今だから書けますが、その焦りと不安から一時は引きこもりも経験したし、プールにも入っても泳ぐ気もせずに練習できなかった日々もありました。(この時期は本当に今の自分の状況は全く想像できなかったです。)

昨年のBHPの後、前に所属していたスイミングのコーチが辞めてチームが解散し、新しいチームを探すのにも苦労しました。

ロンドン五輪出場を決める前も相当な辛い事や苦い経験をしてきましたが、
それ以上のハードな場面を乗り越えて今の自分があります。

 
今は過去最高の身体のスペックを備え、まだまだまだまだ身体能力向上の余地が無限にあります。自分に可能性しか感じません。

こちらに来てから2年が経ち、やっとオーストラリアやニュージーランドでの試合でも勝てるようになり、
この地域での自分の知名度が確実に高まってきました。こちらでもっと個を確立し、有名になって、須藤元気さんのように逆輸入な感じでいければとイメージしています。
また、昨年10月のW杯でやっとTOP8に入る事ができ、世界の頂上が現実的に見えてきました。

そしてゴールドコーストに来て、ここで競技人生を終えても良いと思うくらいの素晴らしいチームのメンバーの一員になり、
最高のコーチのもと、共に同じ目標を持ち、毎日切磋琢磨でき、私生活でも仲良くできるチームメイト達と出逢い、
自分の競技を取り組むうえでの環境も昨年よりどんどん良くなり、更にプロフェッショナルとしての活動ができる環境が整ってきました。

僕は思います。自分の人生は自分で作り上げていくしかない。どこまで自分が苦境に立たされたとしても、そこから這い上がっていく事ができるか。

それを乗り越え、自分の力にするか。 すべては自分次第だ。 自分の人生は自分がすべて選択肢をし、生き続けなければ行けない。生きている限り。

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明治大学の先輩でお世話になっている本田直之さんの言葉を引用すれば、
僕は大学卒業後、僕の競技生活は常に切羽詰まったサバイバル生活でした。
競技生活をおくりながら、同時に僕はサバイバル能力を養ってこれ、自分のサバイバビリティ(生き残る力)を鍛えることができました。

ロンドン五輪後から今までの乗り越えてきた数々の試練をこの先、財産だと思えるようにしていきたいし、
あんなピンチな状況を乗り越えたんだから、この先どんな危機が訪れてもなんとかなるだろうと、常に心にそういう気持ちを備えていきたいです。

全豪選手権での展望

僕は今回、勝負したいと思ってます。勝ちたい。今まで勝てなかった彼らに勝ちたいです。
昨年、今までとっていた長期オフをとらずに継続してトレーニングに取り組み、自分よりも体格が大きい選手と毎日練習し、その中で勝ち、試合でも勝ち、
力と実績をつけてきました。
この試合で自分より実績のある選手に勝ち、その勝ったという実体験から自信をつけていくことが、リオ五輪でメダルを獲得する為の最前の方法であり
ただただ、その繰り返しだと考えています。

僕は常に前を向かなければいけないし、休んでいる時間はありません。限りある人生の時間の中で、目に見えないだけでリミットは決まっているわけで
その限られた時間の中でこの今掲げている目標を叶えたい。達成したい。
それが今の僕のモチベーションであり、原動力です。

僕は今まで継続的にトレーニングに取り組む事が苦手でした。
ですが、モチベーションの捉え方に工夫を加え、常に一定のモチベーションを保つことができるようになりました。
改善です。
それが昨年10月以降の結果に繋がっているのではないかと考えています。

明治大学のポスターを撮って下さった加藤さんからの言葉

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加藤正昭さん。僕の明治大学のポスターを撮影して下さった方です。
加藤さんとは、僕の大学生時代に立てた明治大学のポスターになるという目標を叶えたときに出逢いました。
あの時から、僕は加藤さんの事をとても信頼しています。加藤さんは僕にたくさんのアドバイスをしてくださり、
支えて下さります。大学を卒業しても加藤さんとは交流を続けており、僕が海外にいるときはメッセージをしたり、日本にいる時は食事をしながら、僕の近況や悩みを聞いて、一緒に解を見つけて下さいます。

昨年11月から参戦しているニュージーランドオーシャンシリーズの第1戦目で初めて勝つ事ができ、
加藤さんに試合の映像のリンク先と優勝できたという報告をメッセージしました。

加藤さんからは、
「拝見しました。おめでとう。ほんと、素晴らしい知らせをありがとう。ウイナーになると言うことは、ウイナーになるべき人格が備わってきたと言うことでもあります。ウイナーの自覚を味わうことを神様からいただいたと言うことです。自分との闘いは、孤独ですが、神様は、ご覧になっています。ありがとう。」

僕はこの加藤さんからのメッセージを読んで、しばらく考えました。

ウイナーの自覚を味わうこと。

1番でゴールテープを切ったとき、アウェイの地でたくさんの人達に拍手で向かえてもらったあの感覚は
とても気持ちかったです。これが世界選手権、オリンピックならもっと最高だろうとも思いました。
辛いトレーニングを頑張ってきてよかったと思える瞬間は一瞬です。しかし、その一瞬の喜びを味わうためになら
なんでも頑張れると思えるんです。それがアスリートだと思います。
ウイナーの自覚を味わうこと。と加藤さんに言われてこの言葉を見たときに、卒業してから2年続けてきて良かったと思えました。

自分との戦いと孤独。

やっぱそうなんだなあと。再確認しました。
加藤さんに言われると心の底から納得できるからです。

僕が昨年夏に読んだ、本田さんの著書
「なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか」の188ページに
考えろ、考えろ、考えろ というヘッダーからはじまり、(以下、原文引用)

_____

(いつもマッシモが「ペンサー、ペンサー、ペンサー」って言うんです。ペンサーというのは、イタリア語で「考えろ」という意味。とにかくいろんなことを考えろ、そして書け、さらに読み返すんだと。それを何回も繰り返すと、違うアイディアが出る。彼は、実は精神科医じゃないかと思うくらいマニアックに、ひとつの事を突き詰める考えるタイプ。でもたしかに、考えることをやめると、その時点で止まってしまうんだと思いますね)
マッシモは「考える事をやめなければ絶対に成功する」という信念を持っていました。
彼が徳吉シェフに語ったのは、三つ星を取ってイタリアンのトップになったけれど、俺たちはここで終わりなのか、そうじゃないだろう、ということ。もちろんビジネスとして成功させなければいけない仕事もあるし、情熱としてやるべき仕事もある、その両方がうまく、回るのがベストなんじゃないか、と。
もはや料理人というより、哲学者のようです。料理の腕はもちろんすごいのでしょうが、やはりそうではないと感じました。
きっと、こうした強い思いがなければ評価もされないし、その評価が続くこともないのです。

____

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この文章を読んだとき、まず、ペンサー、ペンサー、ペンサーという言葉がとても気に入りました。
そして、常に、考え、それを繰り返す事によって、磨かれていくんだ。信念を持って取り組み考え続ければ、成功に繋がるんだと。ああやっぱそうなんだなと思ったんです。
僕の場合だと毎日、1日4時間は水の中にいます。プールの中、泳いでいる時というのは、チームメイトと一緒に
練習していても、孤独で無の状態なんですね。で、僕はジュニア時代から、この無の状態の中でいつもいろんなことを考えるタイプでした。それの繰り返しで、自分がつくられてきました。

話しは少し脱線しましたが、加藤さんのメッセージで孤独と自分の闘いという言葉を読んだとき、
本田さんの本を読んだ時のこの部分がフラッシュバックしてきて、ああやっぱりこれだよなって。

ぼくにはたくさん応援してくれ、支えてくれる人達がいます。
ほんとうにありがたいことです。
しかし、普段の練習での取り組みやレースでは、常に自分と向き合い、孤独です。
で、必ず目標を達成しなければいけない。
考えて、考えて、悩んで、悩んで、ああでもない、こうでもないって。
そういう状況を続けているわけですから、時には気が狂いそうなときもあります。
でも、ありがとうって言えるんです。

これからも、考えて、考えて、考えて、常に考える事を止めず、自分と向き合う事の質を高めていきたいです。

最後に。
決して、平坦ではなかった大学を卒業してからのこの2年という時間。
確証はなかったけれど、絶対、乗り越えられるとは思っていた。現実そうなった。
道半ば、回り道もしたが、2年前にはなかった世界と戦える能力を備えられたと思っている。

タイトルとおり、この1年は覚悟を持って取り組まなければ、この先はないと考えている。
孤独と向き合い、考える事を怠らなければ、必ずすべてにおいてうまく行くはずだ。

2015年の1発目。覚悟を持ってスタートに立ちたい。

終わり。

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以下記事URL

http://www.huffingtonpost.jp/toru-kumashiro/education_b_6440728.html?ncid=fcbklnkjphpmg00000001

 

 

今日の朝練が終わって、少し休もうと思った時、

たまたまFBを開いたらこの記事が出てきて、興味を持ったので読んでみた。

読んでみて、僕なりの考えがあったから、書きたいと思う。

 

 

 

良い大学に入る事は、
自分の可能性を無限に広げてくれ、
将来に対しての選択肢が増え、
チャンスを掴む確立が高くなると僕は思う。
実際に僕は明治大学政治経済学部に入って、そう実感したし
そこで一般学生と素晴らしい先生方、職員の皆さんと一緒に過ごした
4年間があったから、今の自分が作り上げられたんだと思う。

 

 

 

 

決して、家庭が裕福でなくても、
例えば、スポーツを人より一生懸命取り組んで、結果を出せば、
良い大学に入る事ができます。
僕は高校生の時、将来、水泳でご飯が食べれると思っていなかったから、
絶対、インターハイで優勝して、日本一になって
良い大学にスポーツ推薦で入学しようと決めていました。

 
高校2年生のインターハイで2位になった後から、
複数の大学からスポーツ推薦の話を頂き、
確か、高校3年生の4月か5月くらいには明治大学体育会水泳部からオファーを受ける事を決め、
政治経済学部を選択する事も決めていました。
どうして政治経済学部を選んだかというと、複数の学部を選べる選択肢の中で、
唯一、自分から興味が持て、勉強してみたいと思ったからでした。
高校3年生のインターハイでやっと優勝する事ができ、初めての日本一になることができました。
母子家庭で、大学の授業料をどうやって支払っていくかという問題があったけれど、
僕が卒業した明治大学にはスポーツ奨励奨学金というものがあります。
この明治大学スポーツ奨励奨学金は、
毎年、全学年の体育会生の中で数十人に対して、
授業料相当額の給付(返還不要)をして頂ける制度で
(大学が定めた必要取得単位を満たして、また世界・国際大会で優秀な競技成績を収める必要がある)
当時、僕は大学4年生の時にくるロンドンオリンピックに行く為には
毎年結果を出す事が必要不可欠だと考えていたから、
この基準は絶対クリアできる、しなきゃいけないと思って、
明治大学に入学しました。
当然、クリアできなかったらどうしようという不安もありました。
だから、他の体育会の学生と着眼点が違っていたんじゃないのかなと振り返ってみると思います。
毎年、毎年必ず結果を出そう。

 

 

 

じゃないと大学を卒業できないという意識を常に持っていました。
結果的に、僕は4年間このスポーツ奨励奨学金を給付して頂き、
授業料を払う事ができ、4年で大学を卒業し、学生時代にオリンピックに出場することができました。
スポーツで勝ち上がるには、ハングリー精神が必要だと僕は思います。
競技にかける想い。 何が何でもという気持ちが大切です。
ここぞという勝負のとき、その想いの強さで、結果が変わるからです。
だから、家が貧しいというハンデを持ったとしても、
逆にそれを武器、強さにする事ができるのがスポーツだと僕は考えます。
僕はそういう想いを持って、今まで競技に取り組んできて、
常に篩いにかけられる世界で生きてき、
今もこうして水泳選手として生きています。

 

 
だから、家庭環境が貧しい家に生まれたとしても、その事に対して
悲観したり、グレたりしないで、
(めちゃくちゃ辛い想いや苦しい経験をするかもしれないけど、それを乗り越える事ができれば、強さに変わるから)

 
なにがなんでも、ここから抜け出す、誰よりも上に行きたい、1番になりたい、勝ちたいという気持ちを持って、
スポーツでも芸術でも勉強でもなんでもいいから、
人より、何倍も努力して、結果を出して、
自分の力で自分の人生を切り開いてほしいと僕は考えます。

 

 
もし、そういう境遇にいる後輩達や僕より下の世代の子達がいたら
そうアドバイスしていきたいです。
僕ももっと頑張ります。

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HC-2.9km

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George O'Brien (Front) and Yasu Hirai

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IMG_4755ゴールドコースト→オークランド

ゴールドコースト→オークランド

移動時間は約3時間。
東京から沖縄に行く時間感覚だろうか。

千葉にずっと住んでいた、学生時代からは想像できない振り幅の移動と生活スタイルになった。 けれど、こういう生活を目指して僕は生きてきたわけでもあって、
イメージが現実となった1つの形かなともぼんやりと思ったりもする。

去年、西オーストラリア•パースでトレーニングをしていた時に、
チームメイトであったオーストラリアチャンピオン、ニュージーランドチャンピオンの2人がこのシリーズに参戦する生活をしていた。

そこで初めてこんなOWSのシリーズがあるのかと知ったのだ。

インターネットが普及し、世界中の情報がどこにいてもどんな時間でも
簡単に手に入れられるようになった反面、なぜ僕は、日本にいた時に
見つけることができなかったんだろうと、ナードな気持ちになった。
昨年のある日。

はやり、世界で戦うには、世界と同じ競技生活のルーティンで過ごさなければ
ならないと強く痛感し、自分からそこをディグりにいかないと、日本人で挑戦した事のない事にトライしているのだから、攻める姿勢、求める姿勢を常に持つ事の重要性を再確認した、当時、23歳の僕だった。

24歳になった僕は、今年は必ずこのシリーズに参戦したいと決意していたので、5月にGCに移動しボンドスイミングに加入してから、その想いはコーチに話していており、今までボンドスイミングから、このシリーズに参戦した選手がいたので、オーガナイザーとコーチの交流が継続的にあり、
僕の招待選手(エリート選手)としての参戦が叶ったのである。

僕の今取り組んでいるOWSという競技はオリンピックに
世界で25人しか出場できないという種目の特性上から、
OWSのオリンピアンというのはどこに行っても良く評価してもらえることが、
世界を回っていて強く実感する事である。

ちなみに、TV放送もされるこのシリーズが開催される、ニュージーランドでは
まだ1人もOWSでオリンピックに出場したことがない。

エリート選手と呼ばれる招待選手は
オーガナイザーが定めた一定の実績を持つ選手が対象になり、
そこから選考される。

だいたいはAUS,NZの代表選手達であり、また競泳のトップディスタンスの選手、第1戦ではコモンウェルスゲームのチャンピオン、第2戦では短水路のAUSレコードホルダーも参戦していた。

ボンドスイミングからは、僕とジョージ•オブライエン(AUS代表、昨年のシリーズ2位)が今年参戦している。

エリート選手は6戦中3戦出場する必要があり、
各試合で順位によってポイントが与えられる。
最終戦だけはポイントが2倍。
だから、最終戦が1番重要ということになる。

僕らのエアーチケットはシリーズのスポンサーにジェットスターがついており、
ジェットスターが負担してくれている。

宿泊先は、これは興味深いシステムだなと思ったのだが、
オーガナイザーが各選手にホームステイ先を手配してくれる。

僕は、ホテルを用意されて宿泊するよりも、
人の暖かみや優しさを感じる事ができるホームステイのほうが
良いと思っている人なので、このシステムはナイスだなと感じている。

第1戦目はイベントオーガナイザーの両親の家に宿泊し、
第2戦目はオークランド市内でブッチャー(肉屋さん)の家に宿泊した。

オーガナイザーの両親は昔、東京に住んでいた事があり、凄く親日で
いろんな日本の事を話せて、その事が素晴らしかった。

ブッチャーをしているトゥレスティンの家に宿泊した時は
夕食でめちゃくちゃ美味しい、ビーフステーキ、ラム、ソーセージを出してくださって、それが本当に美味しくて、感動した。

どちらも凄く親切にしてくれ、感謝の気持ちが強く残っているし、
これからもずっとつき合っていきたいなと思っている。

まら、オーガナイザーからプリペイドのクレジットカードがエリート選手達には渡され、現地での食事や試合に必要な物資をそのカードで調達することができる。

第1戦目はPAIHIAというオークランドから車で3時間くらいのところにある場所にオーガナイザーから渡された車で、僕とジョージ、マイケル(AUS代表)と向かった。
ただ、行きに関しては、事故に遭遇し、到着するまでに6時間もかかった。
到着した頃には、僕らはクタクタで、早く寝たいという感じであったが、
会場の海で、ウェットも着ずに15℃の海を少し泳いだ。
さいしょは呼吸もできなくて、凍えしまうかと思ったが、泳ぎ続けているうちに
身体があったまってきて、泳げるようになっていった。
人の身体はタフだなと思ったよ。

試合前日の夜は、みんなで確か、どデカいハンバーガーを食べたと思う。

Paihiaのレースは3.8kmのワンウェイで
スタート地点には、出場する選手達はゴール地点から出る
フェリーに乗って向かった。

フェリー移動は気持ちが良かった。

レース前は、レース受付をして、チップを装着し、
ウェット着用必須なので、
支給されたブルーセブンティーのウェットを受け取り、
ストレッチと軽いドライをやったかな。

選手の荷物は、トラックにつめて、ゴール地点まで運んでくれるシステム。
凄いよね。

レースの事に関して言えば、勝つ事ができて、ホント嬉しかったよ。
やっぱり、何事も初めての事はドキドキして緊張するからね。

ゴール前に強いうねりがあって、
自分で泳ぎながら、こうコースどりすれば、いけるんじゃないか?って瞬時に考えて、
スパートしたんだよね。結果それが的中して、勝つ事ができたんだけど、タフなレースだった。

第1戦目で勝つ事ができて、いい感じでNZでヤスヒライジャパーンがデビューしたのであった。

ホームステイ先に戻ったら、TVのNEWSでさっき泳いでいた自分の映像が流れ、名前が呼ばれてて
不思議な気持ちだった。

そのとき思った事は、
日本でマイナースポーツと呼ばれる競技に取り組んでいても、その競技が盛んで、社会的に認知されている評価してくれる国に自分が行って、そこで結果を出せば、道が開けてくるとその時、僕は思った。そこで自分の努力で掴んだ実績で、有名になっていけばいけばいろんな可能性が生まれてくるじゃないかって。海外は純粋に競技で結果を出す事に対して評価をしてくれるしね。 大学生のとき、須藤元気氏の本を読んだときの事、覚えてるけど、逆輸入的なやつ。 あれでいいんじゃないかってね。

第1戦目はジョージとマイケルと3人でずっと行動してて、それも凄く自分にとっては楽しかったし、自分を成長させてくれる経験だったと思う。
日本でずっと生活してたら、日本人としか一緒に過ごさないし、そういう海外の感覚とかってリアルに身に付かない。
日本から出たら、自分は外国人になるわけで、じゃあ、外国人の自分をどう表現するか、相手とコミュニケーションとっていくかっていうのは、
やっぱり、こういう形で一緒に過ごさないとわからないし、感覚も身に付かないと思うんですよね。
こういう事が、実際の競技においても、生きるわけで。
例えば、海外試合でドキドキしなくなるとか、過剰に海外選手に対して、ビビったりしないとかね。

良いスタートを切る事ができて良かった11月でした。

それで、2週間後、第2戦は@オークランドで。
試合にあるスカイタワーを目指して、泳ぐコース2.9km。
1600人も一緒にあの市内の中心の海を泳ぐなんて、すげーすげーって僕は心の中で思ってました。

2戦目は、今夏のパンパシで2位になったAUS代表のジャロット•プートも出場していて、
彼に勝つ事が1つの目安になると思っていたから、とにかく、勝ちたい、勝負するっていう気持ちが強かった。

2戦目も勝つ事ができて、嬉しかった。 やっと、だんだん 力の出し方とか、レースの組み立て方が
身体で理解できてきた実感が出てきたと感じている。

連続して勝つ事ができたおかげで、NZでだんだんぼくという存在を認知してもらえてきていることを
実感している。素直にそれは嬉しい。

結果って大事ね。ホント。なかなか結果を出す事って大変なんだけど、
結果を出す事で道が開けてくるからね。人生。

レースが終わって、オークランドの中心を、チームメイトのジョージと少しだけ散策した。

オークランドは東京と香港とニューヨークをミックスした感じにニュージーランドという国のベースがある街だと感じた。
緑とコンクリートジャングルにアップダウンのある街のつくり、狭く密集し入り包んでる感じがとても好き。
ストリートカルチャーも存在している。オーストラリア(ゴールドコーストにはない。)
SSUR、HUF、Crooks & Castles BILLIONAIRE BOYS CLUB NIGO adidas carhartt のラインが目立った。 あと古着屋もたくさんあったね。
スニーカー屋もたくさんあって、NZでも ASICS GEL LYTE がメインでピックされていて、ああほんとすげーってなって感じた。

オークランド大学、図書館の周りもシャレてたなあ。

海沿いのカフェやご飯屋さんもクールなお店がたくさんあった。

市内の駐車場の値段は高いけど。

GCにはない魅力があって、いつか住んでみたいと思った。

次、オークランドに行くのは来年の4月、最終戦に出場するため。

必ず、シリーズ制覇したい。

この2つの試合を通じて、僕は少しずつ着実に、世界と生きる為の力と、世界で勝負する為に必要な

感覚を手に入れている事がができたと思う。

自分の実体験で得た結果で、自信をこれからもつけていき、リオの舞台で自信を持って、スタートしたい。

最後に。

2011年単身、イタリアのボローニャに1ヶ月、トレーニングに行った事がある。

あるオフの日、僕はボローニャからフィレンツェまで、ユーロスターに乗らず、各駅の電車で行った。

今でも忘れられない、出来事だ。

電車に乗っているとき、見た事もない景色がそこにはあった。

その時、抱いた気持ちがずっと心の中にある。

人生すべてをかけてでも、世界の3分の1もぼくは行く事も知る事も感じる事もできないだろう。

世界は広い。人生は短い。

と。

あれから、3年が経とうとしているが、その光景は脳裏に焼き付いているままだ。

僕が取り組んでいる競技の特性上、世界を回る事が多い。競技を通じて、できるだけ、リアルな世界を感じて生きながら、

国際感覚を身につけて、どこでも生きられ、活躍できるような人間になっていけるようにしたい。

続く。

 

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もし、明日食べるご飯がなかったら、その日その日を懸命に生きて、
明日も明後日もまたご飯を食べれるように生きるでしょ。

 

 

 

 

 

僕の人生観、ある意味自分の哲学というものはこんな感じだ。

 

僕は母はピアノの先生、父は自衛官という家庭の長男に生まれた。

 

僕が生まれて3年後に弟も生まれ、僕らは4人家族だった。

 

たぶん、僕が8歳くらいの頃だったと思う。 父さんと母さんが仲が悪くなって、

僕と弟と母さんの3人暮らしが始まった。

 

 

母さんは自分1人で、僕と弟を育てていかなければいけなくなった。

 

 

僕と弟は母さんのお母さん。おばあちゃんと一緒に暮らした。
僕と弟は、僕が中学校3年生の時、おばあちゃんが死ぬまで、おばあちゃんと多くの時間を過ごした。だから、僕はおばあちゃんが大好きだった。

 

 

おばあちゃんは結構ハデな洋服やアクセサリーが好きで、おしゃれだった。
そういう、おばあちゃんの好みは今の僕の好みにも影響していると思う。

 

 

実際、今僕が付けている指輪やネックレスはおばあちゃんが使っていたもの。

 

 

もう一緒に過ごす事は一生できないけれど、どんな場所、どんな国に行っても、僕はこのアクセサリーを身にまとっているから、おばあちゃんと一緒にいられている気がして、
パワーがもらえている気がするんだ。

 

 

 

母さんは介護士の学校に通い、資格を取得し、病院で働くようになった。
日勤に加え、夜勤もしていた。

 

 

結婚する前はピアノの先生をしていたのに、僕らを食べさせなきゃいけないから、
学校に通ったり、昼も夜も寝ないで、働いて。

 

 

そんな姿を見ていて、僕は水泳の練習でどんなにキツいメニューがあっても、結果が出ない時があっても、絶対乗り越えて、強くなろうと自然に思えた。

 

 

そういう強い想いがあって、僕は遅咲きながら、高校3年生、最後の夏のインターハイで
優勝し、日本一になれ、その4年後、オリンピックに出場できたんだと
結果論だけれど、そう感じる。

 

 

 

母さんの姿を見ていたら、ぜってー、篩にかけられる世界で生き残こってやろうって

思うでしょ。

 

 

なにかのインタビューで、どうしてここまでこれたと思いますか。と聞かれた時に、

こう答えた事がある。

「他の人達と僕は想いが違うんです。」

 

 

 

僕にとって、小さい頃から今日も続けている水泳は、
自分が生きる為、自分の可能性を高める為の手段であると思う。
スポーツに取り組む理由は人それぞれ違くて僕は良いと思うし、自由だと思う。
大事な事は結果を出す事。それ以上もそれ以下の事もない。

 

 

 

 

 

 

 

僕の父さんは、僕と弟の親権を自分に譲らないと、
離婚しないっていう考えの一点張りだった。

 

 

それが故に、僕は小さい頃、凄く辛く想いやハードな出来事を経験した。

 

 

僕も弟も父さんと暮らす気はなかったし、尊敬できなかったから、
母さんとばあちゃんと一緒に暮らす選択を選んだ。

 

 

僕と弟が成人したら、親権なんて関係なくなって、ちゃんと話し合って、蹴りをつけるのかなとずっと思っていたけれど、実際はそういう事はなかった。

 

 

僕は父さんと別々に暮らしてから、2回会った事がある。

 

 

1回目は、2010年、羽田空港で会った。

 

 

2回目は大学卒業する前の2月に。

 

 

僕が長男で動かないと、家族で話し合う事は一生なくなってしまうし、

いつまでたってもこの状況から変わらないと思って、時間をつくって動いた。

父さんに会いにいった。

 

 

僕は成人したし、弟ももうすぐ成人する。
だから今、家族が皆集まって、話し合う事を僕は望んで
父さんに会い、父さんと話したが、残念ながらそれがその後、実現される事はなかった。

 

 

その時、悲しいことだけれど、
これ以上、僕がこの件に関して、労力を注いでも、進展がないと思ったし、

 

 

今は水泳にもっと時間を注がなければいけないと思ったから、あれ以来
この件に関しては今は動いていない。

 

 

 

なかなか難しい。こういうのって。

正解なんてないから。

 

 

 

 

 

 

いつか、母さんもう働かなくていいよ。って

 

 

僕が水泳選手として結果を出し、めちゃくちゃスターになって

 

 

稼いで、母さんにそう言える日がいつかくるのが、僕の最終的な目標。

現実まだそれは達成できていない。

 

 

サッカーや野球のように僕の取り組んでいる競技は何億円というお金は稼ぐ事はなかなかできない。

 

 

 

けれど、オリンピックでメダルを獲得できたら、少しはそれが現実的になるんじゃないかと考えている。

どうして、こんな事を書いたというと、

 

 

僕っていうアスリートはこういう環境が背景にあって、育ってきて、今があるから。

 

 

 

これが僕のバックボーン。僕が今まで歩んできた道。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、僕はオーストラリア ゴールドコーストに移り、ボンドスイミングに加入し、
オーストラリア代表コーチから指導を受け、
同じ目標を持っているオーストラリア代表の選手達と練習し

 

 

2年後、開催されるリオデジャネイロオリンピックで、
日本人、アジア人初のOWS競技でのメダル獲得に向け取り組んでいる。

 

 

 

オリンピックを目指すアスリートは、毎日、毎日、どんなときも、オリンピックの事を考えながら生きる。 それはある意味異常な事だと僕は思っている。
実際、そういうメンタル状態でないと、オリンピックに選手として出場できないし、
もっと突き詰めないと、そこで戦えないと、1回オリンピックに出場してみてそう思う。

 

 

なんて言っても、オリンピックというものは4年に1回、しかも1発勝負だから。

 

 

 

千葉の我孫子、柏というエリアで育った僕が、
なぜ今、ゴールドコーストにいるのかという事も、実に興味深い事だと思う。

 

 

 

また次回、その事については書きたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は夢や目標は逃げないと考えている。

 

 

 

そこに本当に想いがあり、必死にその事に取り組めば、達成できるからだ。

 

 

それは24年間、生きてきて、常に篩にかけられる世界で、結果を出す事でしか
生き残れないという場所で生活し、生き残ってきた実体験があるから

 

そう考えているんだと思う。

 

 

今まで、生き残れてきても、この先、もしかしたら篩から落ちてしまうかもしれないだろう。

僕はそうは考えない。

 

 

 

自分の実体験でしか得れない、自信をつけて、自信を大きくして、

最後まで生き残り、まだ見えない世界を見てみたい。

 

 

 

僕が結果を出す事によって、自分を支えてくれる人達、応援してくれる人達、助けれくれた人達の期待に応えたい。
みんなとWin-Winの関係を築いていきたい。幸せになりたいと思う。

 

 

 

だから、僕は頑張らなくてはいけない。

 

 

 

 

 

僕は中学生の頃から洋服や音楽に興味を持ち、凄く、そのカルチャーが好きになり、
影響を受けている。そういう流れで、いろんなラッパーの自伝を読んだ。

 

 

 

 

特に大切な本が2冊ある。

 

 

 

この2冊の本には、ところどころに青マーカーで線が引いてあり、折り目もたくさんついている。この本から学び、自分の競技生活において、かなり応用させてもらっている。
2冊の本から学んだこと、感じたことを最後に少し書きたいと思う。

 

 

 

1冊目は
50CENT ノー ホールズ バード カーティス ジャクソン3世の実話/ジェイク ブラウン著

 

 

 

著書の68ページに

「人はいつか死んでしまう。だから、あの黒人らの誰かを恐れてないわけじゃねぇ。死は巨大な娯楽の一部だ。アクション映画はすべてがそのシナリオに基づいている。もし俺らがそれをやったら死んでしまうだろう。死ぬことを考えて今日を過ごしたら、明日意欲を持って目覚めるなんて無理だぜ。俺は少しで良いから自分の人生を変えてみたい気分なんだ。だっていきなり9発も撃たれたら(そして助かったら)、自分の人生には何か指名があるんじゃないかと思うだろ?俺はその自分に課せられた使命が何なのかを考えているのさ」

 

 

 

 

2012年6月10日にポルトガル セチュバルで行われた
ロンドン五輪OWS最終選考会で僕は9位以内に入れば
オリンピック出場権が獲得できるという中、6位でゴールした。

 

 

 

多くの人が僕のまだ誰も日本人で成し遂げたことのないOWS競技での五輪出場を疑っていた。
自分自身も不安と、行けなかったらどうしようという恐怖を感じていた。

 

 

 

だが僕はあの日、自分の人生の行く道をより良い道に
自分の努力と取り組みで方向転換できた。

 

 

 

夢が現実の世界で実現した日だった。

 

 

 

 

引用した50CENTの著書の文章ではないが、
この競技でもっと極めろと。あの日課せられた使命がなんなのが僕は知りたいし、
更に自分の人生を変えてみたいから

 

 

 

道のないところに道を作り、更に突き進んでいかなければならない。

 

 

 

 

2冊目は

JAY-Z ロッカフェラ王朝を築いたヒップホップの帝王/ジェイク ブラウン著

 

 

 

 

僕は大学在学中、アメリカ文化研究のゼミに入っていたこともあり、
卒業論文でこの本をベースに、「HIPHOPの帝王 JAY-Zから学ぶアスリート向上論」
という卒論を書いた。

 

 

 

 

 

卒論で著書の第11章を読んで、まとめて書いた文章の中で

 

 

 

常に一歩先の事を現実に生きながら、考えて行動する事。
そして、目標を叶え、更に自分を磨き、それを公の場で発言する事により、
自分の言葉に責任ができる事により、もうやれなければいけない。この勝負を楽しもう、やってやろうという気持ちになるはずだ。誰かが、チャンスを与えてくれる事を待つのではなく、自ら、チャンスを追いかけ、それを掴めるようにならなければ、上には行けない事を教えてくれている。

 

 

 

これが僕のスタンスだと思う。そしてこのスタンスで取り組んできて、
今日までこれたと思う。

 

 

 

 

これから、ここで僕の想いや考えを綴っていく。

 

 

 

 

このブログを見てくれているすべての人達と切磋琢磨していき、
良い相乗効果がお互いに得られる事ができれば最高だなと思う。

 

 

 

 

時間は無限にあるものではなく、有限だ。

 

 

 

だから、自分でリミットを決めて、その中で必ず

 

 

 

自分が掲げた目標を叶えたい。

 

 

 

 

 

やす

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