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日別アーカイブ:2019年08月30日

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2009年。僕は19歳。大学1年生の冬休みにトランクと寝袋を持って初めてロスに来た。

当時、海外で1度もトレーニングしたことがなかった僕は、日本以外で水泳をしてみたいという気持ちを強く抱いていた。
その前の年、2008年に初めてU-18日本代表に入り、世界ジュニア選手権を経験したのが大きく僕に影響を与えた。

僕は高校3年生、最後のインターハイで初めて400m自由形で優勝し、日本一になるという経験をした。
遅咲きだと自分で思った。18歳で日本一。周りの同世代は小学生の全国大会や全国中学で優勝を経験していて、
いつも劣等感と焦りがあったからだ。

今でも覚えている。ゴールタッチをして電光掲示板を見て、何回か確認した。自分の名前の横に1という数字がついていることを。そして、それを確認した時、僕は土砂降りの雨が降る、屋外プールで叫んだ。

僕は最後のインターハイの前、もうその年の春には明治大学にスポーツ推薦で進学することが決まっていた。
僕の母方のおじいちゃんは早稲田の出身だったし、僕がジュニア時代にカッコイイと思っていたスイミングの先輩は早稲田に行っていたので、早稲田か明治で迷ったが、明治は自分が行きたいと思う学部が選べたし、学校練習も寮にも入らず、通っていたスイミングでのトレーニングを認めてくれたので(インターハイ3位以内の成績を残していた場合)、明治に決めた。

明治には佐野秀匡先輩(現、明治大学水泳部監督)がいて、佐野先輩がダントツで実績を残していたので、明大水泳部の中で別格の存在であった。

明治に入る前には全く面識はなく、入学後の4月の日本選手権で初めて話したと思う。
当時、佐野先輩は、拠点をアメリカのUSC大学に置き、トレーニングしていた。
その事を知って、僕は半年後には佐野先輩にお願いをして、僕もロスでトレーニングがしたいです。お願いします。
と言って、佐野先輩の部屋に寝袋を引き、3週間滞在させてもらった。後で聞いた話だが、佐野先輩は本当に僕が来るとは思っていなかったそうだ。

この経験が僕の競技人生の分岐点だったと確実に思っている。
中古の自転車を買って、当時グーグルマップの使い方すらわからなかったので、ネットで行き先を調べ、地図を頭に記憶して、1時間以上かけて、ハリウッドやメルローズにある憧れの洋服屋に行ったり、
本当全く英語がわからないのに、USCの選手たちと打ち解けて、トレーニングに励んだことが本当に懐かしい。
佐野先輩にLAのSupremeに車で連れて行ってもらった時はめっちゃ嬉しかった。そのくらい何も知らない、わからない若造であった。USCにはたくさんのオリンピアン、オリンピックメダリストがいて、すごくすごく刺激であった。

3週間のトレーニングを終えて、日本に帰国して、僕はまたUSCにトレーニングに行きたいと思った。
僕はUSCアシスタントコーチに佐野先輩の力を借りずにメールを送って連絡をした。
返ってきた返信は、Noであった。将来的にはいいよ。という曖昧は返信であった。

この時、僕は自分が受け入れ先にバリューを与えれる選手でなければ、個として価値がなければ、
海外のチームで自分は受け入れられないのだと痛感して、日本代表になり、世界水泳やオリンピックに出場して
結果を残し、自分のシグネイチャーの要素を強くしなければと考えた。

このような思考の変化で僕の競技に対する取り組みが変わっていったと思う。

昨年10月、11月のフラッグスタッフでの高地合宿とサンタモニカでのトレーニングの際に、
2009年ぶりに、ロスに降りた。 当時、佐野先輩は25歳で、今、僕も25歳になった。
だから、自分はあの頃の佐野先輩のようになれているのだろうか。と前回、ロスに滞在していた時、そして先日も考えていた。

実際には自分自身ではわからない。ただ、あの時に痛感した悔しい想いは克服できたと思っている。

僕はよく下の世代の選手からどうしたら平井さんのように海外でトレーニングできますか。と相談をされるようになった。
今日ここに書いた、僕の実体験が彼らの参考になればという気持ちもあり、書き綴った。
良いきっかけになれば幸いである。

写真は佐野先輩、USCのヘッドコーチ デイブサロ氏、康介さん。
帰国前の最後の練習後に撮影した思い出の1枚です。