IMG_4802

ロスで松田さん達と別れた後、僕はテネシー州ノックスビルに向かった。
昨年からここテネシー大学にわざわざ海外強豪選手達がトレーニングを行いきている情報を得て、ヘッドコーチのタイラーにコンタクトして、全米選手権前まで、
練習に加入させてもらえることになった。
競技をできる時間は限られている、強くなりたいと思ったら即行動、その精神だけだ。

テネシー大学には2010年に僕が初めてアメリカ代表で友人になった25kmの世界チャンピオンでロンドンオリンピックアメリカ代表のアレックス、昨年の世界水泳アメリカ代表のディビットがベースとしてトレーニングをしている。
学生でもユースのアメリカ代表だった選手たちがいて、オープンウォーターのスクアッドがあり、層が厚いし熱心に取り組んでいる。
アレックスはボストン出身で、ハーバード大学卒のオリンピアンである。2年前にボストンからチームメイトとより良い練習環境を求めてテネシーに移動してきたそうだ。出逢ってから6年、もう長い付き合いだ。
今週末には、ロンドン・リオのカナダ代表のリチャードも
ここテネシーでトレーニングを行う為にくる。
4月の全米選手権後はニュージーランド代表のケインもくるそうだ。
この業界にいて5年経ってわかったことはトップ選手達とその選手を指導するコーチ達のコミュニティがあることだ。
僕も去年頃からそのコミュニティに入ることができた。
去年はここテネシー大学に海外強豪選手達が集まり、トレーニングをした後に、コロラドにあるオリンピックセンターで合同トレーニングを行っていたりしている。

世界で戦う為には情報に敏感にならなければならないと、
自分の存在をしっかり示すことができなければ生き残れないと痛感している。自分はまだまだと思っているし、もっとコミュニケーション能力や情報収集力を高めたいと思っている。

日本のコーチや選手でそういうコミニュティに入っていけるコーチや選手は本当に少ないと思う。いろんな考え方があるから、良いとか悪いとかを言っているわけではない。
僕の中では世界を舞台に競技をするわけだから、
今まで海外遠征に行ってきた中で、遠征中、ずっと日本人だけで固まっている光景を僕自身よく見てきて、その中でこれじゃいけない、ここから抜け出さなければと思い続けてきた。そういう気持ちから、だんだん行動が変わっていったと思う。

写真に写っているように、ここではプールでOWSのスキルの練習を行っている。僕はこのトレーニングを受けたく、ここにやってきた。ブイ周りの接触に対応するスキル、パックでいかに少ないストレスで泳ぐスキル、初めて知るものばかりである。どんなに体力があってもスキルがなければ、短い時間で体力を消耗してしまう。
練習量もとてもボリュームがあるヤードで9kmを平気で泳ぐ。

あと2週間、学べるだけ、学び、スキルを身につけ
突き抜けられるようにしたい。




IMG_4705

2009年。僕は19歳。大学1年生の冬休みにトランクと寝袋を持って初めてロスに来た。

当時、海外で1度もトレーニングしたことがなかった僕は、日本以外で水泳をしてみたいという気持ちを強く抱いていた。
その前の年、2008年に初めてU-18日本代表に入り、世界ジュニア選手権を経験したのが大きく僕に影響を与えた。

僕は高校3年生、最後のインターハイで初めて400m自由形で優勝し、日本一になるという経験をした。
遅咲きだと自分で思った。18歳で日本一。周りの同世代は小学生の全国大会や全国中学で優勝を経験していて、
いつも劣等感と焦りがあったからだ。

今でも覚えている。ゴールタッチをして電光掲示板を見て、何回か確認した。自分の名前の横に1という数字がついていることを。そして、それを確認した時、僕は土砂降りの雨が降る、屋外プールで叫んだ。

僕は最後のインターハイの前、もうその年の春には明治大学にスポーツ推薦で進学することが決まっていた。
僕の母方のおじいちゃんは早稲田の出身だったし、僕がジュニア時代にカッコイイと思っていたスイミングの先輩は早稲田に行っていたので、早稲田か明治で迷ったが、明治は自分が行きたいと思う学部が選べたし、学校練習も寮にも入らず、通っていたスイミングでのトレーニングを認めてくれたので(インターハイ3位以内の成績を残していた場合)、明治に決めた。

明治には佐野秀匡先輩(現、明治大学水泳部監督)がいて、佐野先輩がダントツで実績を残していたので、明大水泳部の中で別格の存在であった。

明治に入る前には全く面識はなく、入学後の4月の日本選手権で初めて話したと思う。
当時、佐野先輩は、拠点をアメリカのUSC大学に置き、トレーニングしていた。
その事を知って、僕は半年後には佐野先輩にお願いをして、僕もロスでトレーニングがしたいです。お願いします。
と言って、佐野先輩の部屋に寝袋を引き、3週間滞在させてもらった。後で聞いた話だが、佐野先輩は本当に僕が来るとは思っていなかったそうだ。

この経験が僕の競技人生の分岐点だったと確実に思っている。
中古の自転車を買って、当時グーグルマップの使い方すらわからなかったので、ネットで行き先を調べ、地図を頭に記憶して、1時間以上かけて、ハリウッドやメルローズにある憧れの洋服屋に行ったり、
本当全く英語がわからないのに、USCの選手たちと打ち解けて、トレーニングに励んだことが本当に懐かしい。
佐野先輩にLAのSupremeに車で連れて行ってもらった時はめっちゃ嬉しかった。そのくらい何も知らない、わからない若造であった。USCにはたくさんのオリンピアン、オリンピックメダリストがいて、すごくすごく刺激であった。

3週間のトレーニングを終えて、日本に帰国して、僕はまたUSCにトレーニングに行きたいと思った。
僕はUSCアシスタントコーチに佐野先輩の力を借りずにメールを送って連絡をした。
返ってきた返信は、Noであった。将来的にはいいよ。という曖昧は返信であった。

この時、僕は自分が受け入れ先にバリューを与えれる選手でなければ、個として価値がなければ、
海外のチームで自分は受け入れられないのだと痛感して、日本代表になり、世界水泳やオリンピックに出場して
結果を残し、自分のシグネイチャーの要素を強くしなければと考えた。

このような思考の変化で僕の競技に対する取り組みが変わっていったと思う。

昨年10月、11月のフラッグスタッフでの高地合宿とサンタモニカでのトレーニングの際に、
2009年ぶりに、ロスに降りた。 当時、佐野先輩は25歳で、今、僕も25歳になった。
だから、自分はあの頃の佐野先輩のようになれているのだろうか。と前回、ロスに滞在していた時、そして先日も考えていた。

実際には自分自身ではわからない。ただ、あの時に痛感した悔しい想いは克服できたと思っている。

僕はよく下の世代の選手からどうしたら平井さんのように海外でトレーニングできますか。と相談をされるようになった。
今日ここに書いた、僕の実体験が彼らの参考になればという気持ちもあり、書き綴った。
良いきっかけになれば幸いである。

写真は佐野先輩、USCのヘッドコーチ デイブサロ氏、康介さん。
帰国前の最後の練習後に撮影した思い出の1枚です。




1010073_961561437264638_3628078089765563300_n

今日朝起きた時思わなかった。
コーチデイブと2人で食事をする機会に恵まれるなんて。
僕のOWSに取り組む中で抱えているモヤモヤを聞いてもらって、アドバイスしてくれた。 世界で勝ったOWS選手を育てたコーチは日本にアジアにまだいないから、自分から行動して関係を築いていかなければいけません。ただ練習するだけじゃなくて、情報を手に入れる努力をするのも選手の仕事です。世界の舞台で戦いと思うならば。
今日朝もアメリカにいる僕のメンターと会って、今の競技に対する悩みと葛藤を聞いてもらって助言を頂いたし、日本にはそういう存在がいなくても自分の見る世界を変えればこうしてそういう存在がいるんだ。と改めて思えました。
これで自信持ってオリンピック選考会に挑めます。
感謝だ。
お寿司とても美味しかった。
Had Great Sushi dinner with World Champion coach Dave Kelsheimer.
It was amazing time!!
Arigato‼︎




american-sniper

アブダビでのワールドカップのレースを終え、その日の夜の便で成田に向かいました。

アブダビでのワールドカップでは自分が描いていた結果が出せずに、レースが終わってから、飛行機の中での時間
歯がゆい気持ちの苛立ちがありました。

1月は自衛隊で良い練習ができて、持久力とスピードも今までにないものを感じていました。
昨年の10月末からのサンタモニカーフラッグスタッフでの合宿で出来上がったベースに磨きがかかった印象を受けました。

ワールドカップの2週間前に、サンシャインコーストで開催された全豪選手権では、出発前に食中毒にかかり、3日間
泳げなかったわりには、10KMで世界チャンピオンと数秒差、5KMで先にリオを決めている昨年の世界水泳7位の選手に勝ち、5位の選手にタッチ差0,2秒で負けてしまったが、2位という結果で、自分の今の位置と、力を把握でき、自信を持て、日本に帰国しました。この後、今思えば、失敗だったのだが、僕は身体をもっと休めればよかったと思っている。帰国後、僕はナショナルトレーニングセンターでギリギリまで追い込んで、ショートテーパーでアブダビに行こうと決め、100×100という普通だったらレース1週間前にはやらないような練習と1人で取り組みました。

アブダビのレースは体力には自信があったのにもかかわらず、ラスト1周でエネルギーが切れ、あげることができず、
第1集団の後方という絶好の位置にいたのに、失速して10人以上に抜かれました。疲労の回復が間に合っていなかったからです。

どんなに悪くても8位には入れると思っていただけに25位、なんだよって気持ちでした。
ただ、そのレース前の練習のもっていきかたいがいの点では、ほぼ自信を持って今いける状態であるので、
4月の全米、6月の選考会ではもっと感覚で行かずに、しっかり練習の強度と疲労感を優先して、準備していこうと思っている。そこができれば、必ず良い結果は出るはずだと思っています。

アブダビでは、先にリオを決めている選手が半分以上来ていたので、リオまでのスケジュールやいつ高地合宿を行うか、今の状態など、本人や、担当コーチと食事の時間や移動の時間に話をして
情報収集を行いました。 こういう外交能力がOWSを初めてから一番能力としては上がったと自負しています。
将来、現役を引退したら次の仕事をするときは、この僕の持っている外交能力を生かす仕事をしようと思っている。
自らたくさん挑戦して、失敗して磨かれて身につけていった能力だと思っています。
そして、わりかし、日本人は僕の印象では対海外でのこういうコミュニケーション能力を円環にはかれる人は少ないと感じているので、例えば競技人生を通じて。さらに磨きをかけて差別化できる位置までもっていきたいです。

初めての体験というのは
好奇心が強い為、
勢いでできてしまうものであると今まで生きていて実感している。
今回、10KMのレースを終えて、
アブダビから成田 10時間のフライト
成田で5時間のトランジット
成田からロス 12時間のフライト
ロスからフェニックス 1時間のフライト
フェニックスからフラッグまでの 2時間のバスでの移動

今考えるともう2度したくないと思うが、
初めての移動だったので、好奇心が勝って、フラッグまで無事に到着したのである。
さすがにフェニックスに到着した時、ここからバスで2時間と考えた時は辛いと思いました。

今回、フラッグに来れているのは
ライアンロクテ選手が試合を終えてからそのまま山に登り、トレーニングを行い、もう一段階
ベースを上げるということを学生の頃、知って覚えていて、チャンスがあれば自分もやってみたいとずっと思っていました。

会社のバックアップと、松田さんから2月も一緒にフラッグでトレーニングしよう。というお話、この2つがあり
今僕はまたここにいて、トレーニングができています。

この事については感謝しかないです。

松田さんの五輪選考会1ヶ月前の合宿に一緒にトレーニングができ、同じ時間を過ごせることは
自分がメダリストになるために、何か必要で、何が足りないかを身を持って感じ、学ぶことができる
と思っています。

—-

僕は去年の5月にメキシコで行われたワールドカップに行く飛行機の中で、
アメリカンスナイパーという映画を観ました。

この映画は主人公のアメリカ軍人の狙撃手がイラク戦争に行き、アメリカに戻り、再びイラクに行くという
実話の話です。

僕はこの映画を観た後、自分の今の生活に似ていると印象を受け、かなり引き込まれ、その後映画もデータで購入して、何度も見ています。
僕も彼と同じで国を背負って、僕は戦争というフィールドではないですが、常に篩にかけながら、白黒しかないはっきりと示される生きるか死ぬかという環境で、
自分の国を離れて、家族や友人、会いたい人との時間を犠牲にして、今を生きています。
なので、凄く、自分の中で何の為に、僕は泳いでいるのか、生きているのか、自分のたった一度しかない人生で
オリンピックで頂点を目指すということに賭けて生活をしているのか。を考えました。
映画の中で、主人公がアメリカに一時戻り、家で家族と過ごす時間でも常に戦地のことが頭から離れず、考えてしまっているシーンがありました。
僕もその時、そのシーンを見て、常にどんな時も24時間、365日、オリンピックでの本番でのレースの事、
選考会での事を考えている、頭のどこかに常にある事に気がつきました。大袈裟かもしれませんが、僕の場合はこういう
精神状態なのです。

やっぱり、世界水泳で11位という結果もあって、あれからは特にそういうメンタル状態です。

今日、フラッグのダウンタウンでナバホ族のネイティブインディアンのブレスレットを買いました。
そのお店の店主が元アメリカ軍人で現役中は沖縄にいたそうです。お父さんも軍人で、息子も軍人、息子は今
アフガニスタンにいるそうです。

店主が日本にいたこともあって、積極的に昔の話をしてきて、
僕が、アメリカンスナイパーって映画見たことある?僕は去年観たんだけれど、その時、自分の今の生活と似ている部分があると思って、共感したり、考えさせれることがあったんだけど、どう思う?
って聞いたら、確かに、今の君の感じと近い部分はあるかもね。僕の家族はみんな軍人だから、わかる部分はあるよ。って言ってくれて、自分の中であの映画を見てから思っていたことを、本当の軍人に伝えて、そう言ってもらって、なんかスッキリしたというか、完璧に理解してくれた訳ではないんだけれど、話を聞いてもらえただけでも嬉しかったというか、なんか晴れた感じがあったんです。

あの映画を見て、その時、そういう事を感じたと思った事を書きのこそうと思っていたんだけれど、
今日まで書かなかった。今日、そういう出来事があって、また思い出して、時間があったから、
今日書こうと思った。今までも書こうと思っていたけれど、書かずに今日になったのは何か意味があったのかなと
勝手だけれど思いました。

IMG_4139

最近、2冊、自分に響き、影響があった本があります。

1つはアメリカの心理学者 ジェイ・メグが書いた 人生は20代で決まる という本。
この本の第1章のアイデンティティキャピタルという章で、〈44ページ
_
アイデンティティキャピタルとは、時間をかけて身についた、自分の価値を高める経験やスキルのことであり
個人的な資産です。自分自身に長い間、じゅうぶんな投資をした結果、自己の一部となったものです。
学位や仕事、テストの成績、クラブ活動のように履歴書に載せられるものもあります。
もっとも個人的なアイデンティティキャピタルもあります。たとえば話し方、住んでいる地域、問題処理能力、
外見や印象など。アイデンティティキャピタルはどうやってー時間をかけて徐々にー自身を築いてきたという証しなのです。もっとも重要な点は、アイデンティティキャピタル大人の市場に持ち込まれる資質だということ。
たとえていえば、仕事や人間関係のほか、望むものを得るための通貨なのです。

エリクソンが経験したように危機と資質獲得は同時に存在しており、同時に処理するものなのです。人々がどうやってアイデンティティクライシスを乗り越えたかという研究によると、すべてが備わっていて危機がない人生は、
つまり探求がない人生は、融通がきかず、型とおりであるという結果が出ています。逆に資質に比べて、危機感が強すぎるのも、また問題です。

2つ目はアシュリーバンズ著のイーロンマスク 未来を創る男
-61ページ

大学卒業後の進路を真剣に考えるようになった頃、一時期、ビデオゲーム業界も候補だった。
子供の時から、ゲームに夢中だったし、ゲームの会社でインターン経験もあったからだ。
だが、自分が人生を賭けて追いかけるほどでもないと悟る。

コンピューターゲームは大好きだけれど、自分で素晴らしいゲームを開発できたとして、
それが世界にどれほど影響力を持つのかを冷静に考えてみた。
まあ、大したことはないだろうと。心の底から好きなことではあっても、
生涯の職業として人生を賭けることはできないと判断したんだ。

この時期の彼が壮大な夢を描いていたことは多くの人々が覚えている。
実際過去のインタビューで認めている。
クイーンズ大やペンシルバニア大に通っていた頃、
こうしたアイディアに思いを巡らせていたが、結論はいつも同じだった。
つまり、インターネット、宇宙、再生可能エネルギーの3つの分野こそ、今後、大きな変化を遂げる分野であり、
自分が影響力を発揮できる市場だと見ていたのだ。

僕は本を読むときに蛍光マーカーで大事だと思ったところ線を引くのですが、
この2冊の中でもたくさん線を引いたのですが、そのなかで2つ文章をあげてみました。

何が言いたいのかというと、

僕は4年前にロンドンオリンピックに出場して、小さい頃からのオリンピアンになるという夢を学生時代に叶えました。
当時は大学生で、まだ社会に出ているようで、出ていなかったですし、自分がこれからの社会人として生きていく
時間の中で、生涯の職業として人生を賭けることは何か、成し遂げたいことは何かということが具体的にイメージできていませんでした。
ジェイ・メグ著書 人生は20代で決まる で学んだ アイデンティティキャピタルという言葉、そして、20代に僕が自分が描く人生を実現する為には何をすべきか、誰と関わっていくか、ということも大学を卒業して今日に至るまで、約3年という時間を過ごしてきた中で、著書に書かれている〈危機と資質獲得は同時に存在している〉ように、
このリオを目指してきた競技生活の中でのたくさんの挑戦と失敗から、見つけ出せたということを
この2冊を読んで、なるほど、そういうことだったのか、来月26歳に僕はなり、20代も残り数年という限られた時間の中で、僕が取り組むこと、すべきことというのが明確に見えてきたというのが、競技生活に取り組みがながら、
世界を周り、新しい土地に行き、新しい人に会い、本を読み、出てきたというのが、現在の近況と心境であります。

長々と書きましたが、うまくまとまっていない部分もあると思いますが、こんなこともこんな想いを持ってリオに向けて生きています。まずは6月12日、ポルトガルでしっかり五輪出場権を獲得することは僕の人生を賭けて取り組むことです。前回も同じ場所で、同じ挑戦をしているので、相当の覚悟を持って、挑まないと掴めないと理解しています。
この日に出すべき結果を出し、1度日本に帰り、ロンドン後、僕を支えてくれた人、応援してくれた人、僕を信じてかけてくれた人に笑顔で報告できるように。とただそれだけを思っています。

頑張ります。

ヤス








COPYRIGHT (C) 2014 YASUNARI HIRAI ALL RIGHTS RESERVED.