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僕は見かけによらず、本を良く読みます。
どこに行く時も必ず1冊バックに入れたり、手でもったりして
本を持ちます。
Kindleも持っていますが、頭にインプットされるパフォーマンスが使用してみて低いので、荷物になりますし、重いですが、紙の本をこれからも読み続けます。
僕は毎日、約5時間水の中にいます。
泳いでいる時は巨大な水槽をただ往復する単調な動作しかしません。
僕は泳いでいる時に何考えているのとよくいろんな人に聞かれます。
僕はメイン練習中はオリンピックの事を考えます。
メイン練習以外はその時読んでいる本の内容を覚えようとしています。
練習時間以外の少ない時間で読書をして1度インプットして
泳いでいる時に復習を兼ねて思い出しながら本の内容について考えます。そうする事によって、自分の中に新しい知識か考え方、これはもしかしたら自分の競技生活に応用できるかもしれないと
いうアイディアが浮かんでくるのです。
時間はないですし、毎日ハードな練習に取り組み
疲労が貯まるので、たくさん寝たいですが、それでもなるべく時間を見つけては本をこれからも読み続けるでしょう。
20代の残り4年が僕の将来を大きく変えると思っています。
いつもやりたいと思っているのですが、なかなかできない事があります。それは僕が読んだ本についての感想をブログに書き残していくということです。
文字を書くのにある程度時間がとられてしまうので、まだ行動に移す事はできていませんですが、もうすぐ26歳になりますし、そういうログを貯めていきたいなと思い、ここに決意表明を  
写真はここ最近で良く読んでいる本です。
他にも読んでいる本があるので、また書きたいと思います。
今日は16km泳ぎこみ、頑張りました。




Rio-2016-Olympic-Games

ただただ強くなりたくてリアルな知識を習得したくて、情熱と熱意だけで突き進んできた旅は終わった。そう思った。同時にやりきったという感覚を抱いた。

ロンドンオリンピックの半年前の2月。西オーストラリア•パースで開催された全豪選手権に出場した後、僕はもしロンドンオリンピックに出場できれば、大学卒業後はオーストラリアに拠点を変え競技に取り組もうと決意した。

2013年春。僕は明治大学を卒業して、単身パースに渡った。
日本には僕が取り組んでいるオープンウォータースイミングを専門的に指導できる指導者が1人いない。現在もいない。大会もとってもすくない。オリンピックを目指して競技に取り組む選手も少ない。 チームメイトやコーチ、そしてリアルな試合を求め、僕は旅立った。
ただホンモノが知りたかった。

ロンドンオリンピックは僕と僕と一緒にオリンピックに行った森謙一郎コーチ、2人で作り上げ、我流で日本人初出場を自力で掴んだ。僕が海外に短期間でアメリカ、イタリア、オーストラリアに行き、そこで学んだ練習方法を帰国して、コーチと試行錯誤しながら練習を作り上げて取り組んだ。オープンウォータースイミングの事がわからない素人2人がおこした奇跡だと思っている。
僕は中学3年生から森コーチの指導を受け、オリンピックを目指し、夢を叶えた。
オリンピックの後、森コーチから教われる事は全て教わったと感じた。
この先、更に高い結果を目指すならば、オープンウォータースイミングの専門的な知識を教える事ができ、また今までで既にこの競技で世界選手権やオリンピックで結果を出した選手を指導した実績を持っているコーチに指導を受ける必要があると考えた。
なぜならば、人は自分で経験した事しか人に伝えられないからだ。

僕はこの3年間に3人のオーストラリア代表コーチ Mel Tantrum,Matt Magee,Colin Braundから指導を受けた。3人ともそれぞれのコーチ哲学があり、トレーニング方法も皆異なった。
オーストラリア代表、ニュージーランド代表の選手がチームメイトになり、生活をともにした。
レジェンドライフセーバーであり、北京•ロンドン五輪オープンウォータースイミング代表のカイハーストや北京•ロンドン五輪トライアスロン代表コートニーアトキンソン。2人のオーストラリアのカリスマ達ともチームメイトとして競技に取り組んだ。

僕は大学を卒業するまで、海外で生活をした事がなかった。ずっと日本。
だから、物事を見方や何かを決断する時に、1を1でしか見る事や決断する事しかできなかった。大学卒業を半年に控えた頃、僕は帰国子女や長期で留学経験のある友達が多くできる機会があった。彼らは例えば日本とアメリカ、日本とイギリス、日本とオーストラリアなど、物事を見方や何かを決断する時に、2つの国の観点から物事を見たり、なにかを決断する際も2つの国の価値観から1つの解を出そうとすることに気がついた。僕は彼らと一緒にいて、その事が羨ましく思い、また焦りを感じた。自分にはそれができないと。

人生には限りがある。時間はあるようでない。
なので、僕は海外で競技に取り組みながら、海外で生活をする事でそのような自分のキャパを高める事。そしてコミュニケーション能力、語学を同時に取得したいと思った。

現時点では、まだまだ自分の理想には遠いが、それでも渡豪する前のあの頃よりは、大きく成長したと思う。なにより外で生きていけるという自信が自分についた。自分の幅が確実に広がった。もっともっと成長したいと思う。

去年の8月、指導を受けていたコリンコーチから、僕を含め、チームメイトに連絡があった。
タイ•プーケットにあるインターナショナルスクールで仕事をする事になったと。
もし来てくれるならば、学校内の宿泊施設に住む事ができ、食事も3食学校内でとれるサポートをすると。
コリンコーチは長年勤務していたゴールドコーストにあるボンド大学から契約を更新されない事を去年2月に言い渡された。彼は去年の世界水泳まで有給を消化していたが、ようは無職で僕を含め3人の世界水泳代表選手を指導していた。オーストラリアの水泳コーチの雇用形態は契約の形が多い。日本のスイミングのコーチのようにサラリーマンで自分が辞めるというまで働ける形はあんまり聞いた事がない。
良い環境で最高のチームメイト達とトレーニングできていたのに、コーチの契約がなくなった後、チームはバラバラになり、違うチームに多くの選手が移籍した。
確か3月の末くらいからゴールドコーストにある違うプールを借りて、
僕とオーストラリア代表のジョージとサム、ニュージーランド代表のトロイと4人でコリンコーチと練習に取り組んだ。
ボンド大学は良い施設だったから、みんな残念な気持ちだった。けれど、みんなで練習ができる事が続けれるだけ幸せだった。僕らはよく食事に行ったり、海に行ったり、BBQをしたり、本当に良い関係が築けていた。 世界水泳後、皆、プーケットに行くか、ここに残るか悩んだ。
最初はみんな行くって言っていたけれど、本当にプーケットに行ったのは僕だけだった。
ジョージとサムは地元のサンシャインコーストとメルボルンに戻り、トロイはゴールドコーストに残る決断をした。僕はコリンコーチの事を尊敬しているし、好きだし、彼の指導を受けたいと思ったので、いろんな不安はあったがプーケットに行こうと決断した。
11月のアメリカ高地合宿後、プーケットに行く準備をして、単身プーケットに向かった。
プーケット行きの直行便はなく、バンコクに降り立った。またちょうどバンコクでコリンコーチがタイ水泳連盟主催のオープンウォータースイミングセミナーの講師として呼ばれ、バンコクにいたので、数日間、バンコクでトレーニングを行った。バンコクではタイ選手権がちょうど開催され5kmに出場もした。
タイに行くのは初めてで、バンコクは凄く発展している場所と発展しない場所の差が激しく、貧富の差の幅も凄かった。日本の飲食店がたくさんバンコクにはあって、僕は大戸屋やCoCo壱番屋に行ったりもした。当たり前だか日本で食べている味と同じで、それに感動した。バンコクには伊勢丹もあった。タイ人は日本の食文化やカルチャーを好んでいる人が多いそうで、街でよく日本の様々な商品を見た。タイにいるんだけれど、日本にいるような感覚であった。
バンコク滞在後、僕とコーチはプーケットに移動した。プーケット。名前が聞いた事はあるが、まったくなにもイメージができなかった。 インターナショナルスクールはプーケットで栄えている場所の真逆に位置しており、学校の周りはなにもなかった。日本と比べると発展途上のような印象を受けた。到着した時期は冬休みの時期で、まだ学校には住めずに、コーチの友人の家にコーチと2人で生活をしていた。
バンコク•プーケットを含めて10日ほどしか結局僕はいなかった。
タイに来てから、3日後、僕はひどい下痢になった。もしかしたらそうなる事もあるだろうと、
来る前にジスにある病院で薬を処方して頂いていたので、薬を使用するも治る気配すらなかった。
完治するまでに1週間以上かかった。 コーチと久々の再会でとっても嬉しかったが、練習以外の時間もずっとコーチと一緒にいる事にだんだん苦しさを感じてきた。朝から夜まで2人っきりだから、話す話題もなくなってしまった。練習はマンツーマンで張り合いがない。長距離だから、1人でコーチとマンツーマンだととっても苦しいなと痛感した。 バンコクならば、日本食が食べれたが、プーケットには気軽に行ける日本食がなかった。毎日カフェや外食をしていると辛くなってくる。僕はオリンピックを控えたこの大事な時期をここに滞在してコーチとマンツーマンでトレーニングはできないと感じた。100%良い環境だとは思えなかった。コーチが良いという点以外は、ゴールドコースト、日本の環境のほうははるかにすべての面で整っており、帰国してトレーニングしたほうが絶対良いと思った。12月30日の練習後、僕はコーチと話がしたいと言って2人で話しをした。自分が今感じている事、今の自分の状況、自分の希望を話した。かなり勇気がいる出来事だった。凄くドキドキして、その場から早く逃げ出したい気持ちであった。
そしてここにはもういることはできない。日本に帰ろうと思っていると話した。コーチは最初、感情的になっていた。それは当然だ。一緒にリオを目指すってやってきたんだから。けれど、ここで僕が競技に取りつづければ、最悪の事態に陥ってしまうと予想できた。だから、コーチの事は尊敬しているし、指導を受けたいし、好きだけれど、僕はここではもう練習できない。と言った。
それでもコーチはなかなか納得はしてくれなかった。けれど、最後は握手で別れる事ができた。

僕は、コーチと別れた後、カイに電話をした。
カイはコリンコーチと一緒にロンドンオリンピックに行った選手である。
僕はカイにロンドンで勝てたからオーストラリアでトレーニングができ、コリンコーチの指導を受ける事ができた。
今、こういう状況で、コリンとも話をした。プーケットを離れようと思っている。と伝えた。
カイは、オレもマンツーマンでやってたし、その状況は理解できるよ。ハードだよね。
大事な事はヤスが頑張れると思える環境でトレーニングする事なんだ。
オレも練習拠点を変えた事は今まであるのは知っているよね。
だから、その決断をした事はオレは嬉しいよ。
と言ってくれた。
カイと話して少し気が楽になったのは事実だ。
こうしてついこの間までは憧れだった選手とこうして関われている事にも感銘を受けた。

タイから日本に帰る時、旅は終わった。情熱と熱意だけで突き進んできた旅は終わった。そう思った。同時にやりきったという感覚を抱いた。残りの競技人生は日本で取り組みたいと思った。
今は自分がどんなトレーニングに取り組めば良いのか、誰とトレーニングすべきか、レースはどういうプランで泳げばいいのか。 必要であれば、どこの海外チームに行き、練習を積めば良いのかがわかる。2010年に初めて国際大会に出場してから5年かけて、今は自分がトレーニングしたい海外チームにいつでも受け入れてもらえる関係を築いた。この業界でヤスという日本人選手の存在を認知させる事ができた。 
どうしてわかるのか。どうしてできたのか。 
それは海外に単身行く事を自分で決断して、行動して競技に取り組み、挑戦して、自分の失敗から学んできたからだと思う。

僕は自分自身で行動を起こす感覚を養う事を心がけています。
例え失敗しても、それは価値ある勉強なんです。自発的に経験を積もうとする姿勢は、
より一生懸命ハードワークをし、より上手こなさねばならない。という使命感を生み出します。
さらなる責任感から創造性が豊かになり、モチベーションが上がります。そして、困難に対して
明確に対応できるようになると信じています。

今後は日本を拠点にトレーニングに励みます。
自分の頭の中には8月のオリンピックまでのスケジュールができあがっています。
1日1日大切にして競技に取り組むだけです。
僕の競技人生はもう僕だけのものではありません。
多くの方々の支え、協力、応援があって、今の僕がある。
だから、何としてでも目に見える結果で答えたいと思っています。

一生懸命頑張ります。

ヤス








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